2008年11月19日

届かなかった手紙

 長野の渋温泉に行って来ようと思います。
今週末、連休を絡めて4泊5日、しかし、いまだ宿が決まりません。

 以前は、宿を決めずに出掛けるのが当たり前でしたが、最近では、妻がこれを嫌がります。
その場で決めるとどうしてもハズレが多くなりますし、それに今は赤ん坊がおりますから、その分
あれやこれやと考えなければならないことが増えました。

 しかし、事前に決めて行けば良いかと言うとそうでもなく、ホームページ、これには随分と騙されます。大したことのない宿が、淡くぼかしのかかった素敵な写真で紹介されて、嘘じゃあないけれど、
本当でもない、そんなグレーゾーンの宿に当たることもしばしばです。

 とにかく急なこともありまして、なかなか宿が空いておりませんから、普段は馴染みのないペンション、私、実際泊まった経験は数える程しかありませんが、なんとなく、あのアットホームな感じが苦手です。しかしこれも視野に入れ、改めて探してみますと、肝心の宿探しはそっちのけ、そのネーミングに釘付けとなりました。

 「ペンション 歩絵夢(ポエム)」
 「白い仔馬」
 「魔法の笛」
 「だんでらいおん」
 「メリーポピンズ」
 挙げればきりがありませんが、ちょいとメルヘンチック過ぎやしませんか。

 そういえば、以前何処かで、「ペンション 届かなかった手紙」 という看板を見かけたことがあります。ここまでくれば1等賞、種は種を超える、メルヘンがメルヘンを飛び超えて、なんだか未知の領域に踏み込んだかのようであります。

 今年の夏、三重に友人を訪ねまして、あいにくの留守に置手紙とビールを残してまいりましたが、
以来、何の音沙汰もありません。
 ここ数年交信のない友人で、私もこのところ2年毎に住所を変えたりしているものですから、先方がこちらの連絡先を知っているかは分かりません。また私も、てっきり控えてあると思った彼の連絡先を何処かに失くしてしまったようで、つまりは、連絡の取りようがないのです。

 風に置手紙がさらわれたかな。
いわれの分からぬビールばかりが縁側に残されて、怪しく思ったかな。
それとも、鍵も掛けぬ田舎の家、誰かがこれを持ち去ったかな。

 まあ、考えたところで分かることではありませんから、左程気にもしておりませんが、しかし、メルヘンというものは、こんな曖昧さに宿るものであるような気がいたします。
 「ペンション 飲まれなかったビール」
これも、ありだと思います。

 早く宿を決めなくちゃ。
 




 
  
   

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2008年11月13日

歩道橋に懸かる月

 数日、東京に行っておりました。
その昔、深川のお祭りでTシャツを売ったことがありますが、以来十数年振り、門前仲町に宿を取りました。

 曖昧と言うよりも、ほとんど記憶にない町並み、宿の場所が場所であったか、目の前の大きな通りをビュンビュンと車が横切って、思いもよらぬ大都市でした。

 長時間、独りで車を運転して、退屈が疲れを呼んだか、宿に着いた頃にはもうぐったりでした。ベッドに足を投げ出して、缶ビールを数本空けたら、夕飯を食いに行くのも億劫なくらいでした。
 なにせ明日は早くから仕事です。何処かで弁当でも買い出して、今日はおとなしく早寝をしよう。
 重たい腰を上げ、駅を目指して宿を出ました。

 初冬の短い日が暮れて、行き交う人々は皆せわしなく、酔いにだるさを増した体で、行けども行けども同じ景色の繰り返し、結局、何処が駅なのか、たどり着くことが出来ませんでした。
 それでも、ようやく見つけたスーパーで、シャケ弁当と、厚揚げと、それからビールを数本、そうして、おとなしく寝る代わりに、白州を買って帰りました。

 お腹も頭も落ち着いて、シャワーも浴びてあとは寝るだけ、となったのが10時を回った頃でした。
 ところが、いざベッドに入ってみると、なんだかムラムラとして、なかなか寝付けません。
このムラムラの正体、無論、私には分かっておりました。
 ヘイユー、折角東京に来て、夜遊びもしないのかい。
 実は先刻歩き回った時にも、それとなく繁華街を探してはいたのですが、思った以上の体の疲れに気が挫け、しかしその火種はブスブスと、シャケを頬張りながらも燻り続けていたという訳です。

 おいおい、今からまた出掛けて、この寒い中、ウロウロと店を探して歩くのかい。
 せめて、場所に見当がつけば・・。
 なに、タクシーがあるじゃあないか。
 2時間で引き上げて、何時に寝れば、何時間・・。
そんなこんなを考えて、気がつけば小1時間、頭はグングンと冴えてくるようでした。

 カバッと布団を払いのけ、明かりを点けて、頭に油を塗り込んで、よし、と声を上げた自分は、いささか酩酊していたと思います。
 宿の前でタクシーを捕まえて、
 「どこでもよいから、繁華街にやってください」

 するとタクシーの運転手、「繁華街?」と、一瞬、困ったような顔をしましたが、
 「この辺ですと、錦糸町か上野ですね」
 「どっちが近いですか?」
 「錦糸町ですね。2000円くらいで行きますよ」

 そうして連れられた夜の町、錦糸町と言えば久米繊維さんのお膝元、その関係で私も幾度か訪れたことがありますが、キラキラと交錯するネオンの明かり、其処彼処に立つ客引きの男や女、まったくもって、どうしても私の知る錦糸町とは重ならないようなのでした。

 メクラメッポウうろついて、ちょび髭の客引きと一緒に路地裏を歩き、体はメキメキと元気になるようでした。
 2軒ばかり梯子して、なんだかもうよく分からない内に再びタクシーを捕まえて、何処かのコンビニエンスストアで降ろしてもらい、それから確かに、一度、歩道橋を渡ったような気がいたします。

 久しく歩道橋を歩きませんから、これがひどく新鮮で、とても印象に残りました。
 あたかも空中を歩くかの如く、綱渡りでもするかのようにこれを渡って、ふと立ち止まり見上げれば、綺麗な半月が懸かっておりました。
 歩道橋に懸かる月。
そんなフレーズの曲があったような、なかったような、思い出せぬまま、鼾をかいておりました。



 

 
 
 
   

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2008年11月05日

ニンベンの話

 誰かが何処かで、こんなことを言っておりました。

 「人が主(あるじ)と書いて住むと読む」
我々はあくまでも主であって、家というものは、決して人だけのものではないのだよ。

 最近、屋根裏でガリガリと、ねずみが何かをするようです。
食べ物を出したまま寝ると、翌朝、ねずみが齧ったような跡があります。
 困ったなぁ、とは思いますが、私も随分と昔、働いていたオムレツ屋でしょっちゅう盗み食いをしておりましたから、同じようなものかと放っております。
 冬が近づいて、きっとねずみも暖かい場所を好むのだろうと思います。

 やはり人偏に、牛と書いて「件(くだん)」と読みます。
「件」という話がありまして、うろ覚えですが、それはこんなお話です。

 主人公は、「件」という、半分人で半分牛の姿となってしまった男です。
どうしてそうなったのか、本人にもさっぱりと分かりません。
広い広い野原に、ポツリと、太い鎖で繋がれております。

 朝だか夕だかになりますと、地平線から大勢の人々がやって来て、ザワザワと、異様な熱気で男を取り囲みます。
 「今日こそ言うぞ。今に言うぞ」
彼らは、「件」が告げるという、ある重大な予言を待っているのです。

 来る日も来る日も取り囲まれて、ところが男には、何の予言も、何の言葉も思い浮かびません。
 群集の苛立ちは日に日に膨れ上がり、その内ついには、殺しちまえ、なんて恐ろしい声まで上がり始めます。男はもう、どうしてよいのか分からなくなってしまう、そんなお話です。

 人偏に委ねると書いて「倭」と読みます。
人に委ねる人と書けば、私の屋号である「倭人」と読みます。
 十数年前、なんとなくつけた名前ではありますが、実にフニャフニャと無責任な感じで、尚かつ、
大変的を得たものであったなぁ、と今更ながら思います。







   

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2008年10月29日

風呂の時間

 週末から、熱海に行っておりました。
朝晩冷え込み始めたこの季節、久し振りに温泉に浸かったらさぞかし気持ちがよいだろう、と考えまして、これが案の定、大変気持ちよかったです。

 部屋数の少ない宿であったせいか、風呂はいつでも独り占め、他の客と顔を合わせることは一度もありませんでした。
 広い湯船に独りで浸かると、私、決まってやることがあります。
それは、仰向けになって、大の字に、プカプカと浮かぶのです。
 以前は、潜って息を止めることが得意でしたが、いつの間にか、浮かぶことのほうが好きになりました。やはりそれだけ、年を重ねたということなのか、知りません。

 私、家ではもっぱら朝風呂です。
家の風呂は、半分外のようなものですから、しんと底冷えするこれからの季節は特に、夜に入ろうなどとはまず考えません。
 朝風呂と言いましても、もう昼にも近い時刻、山陰からようやく差し込んだ日の光を浴びながら、湯船に浸かって、必ずラジオに耳を傾けます。
 風呂以外の場所でラジオを聴くなんてことは滅多にありませんが、なんとなく、あの雑音交じりのラジオの声が、朝風呂を、一層味わい深いものにしてくれるような気がするのです。

 ところが、家はもとよりこのお風呂、ちょうど裏山が被さるような場所にありまして、ラジオがほとんど入りません。微調整を繰り返し、あっちに向けたりこっちに向けたり、それでも、FMなんざぁ遠い夢、
AMの、2つのチャンネルがようやく拾えるばかりです。
 で、この2つの内の、比較的雑音が少ない方、これが私のお気に入りの局なのです。

 これ、何という局かは知りませんが、恐らくは、NHKではないかと思います。
やっている番組といえば、ラジオ体操であったり、歴史の解説であったり、モンゴル語講座であったり、聴いていてひとつも面白くありません。しかし、それでもこれを愛する所以は、結局は、のんびりと風呂でラジオを聴いている、そんな時間が好きなだけなのだと思います。

 ある日は、天気予報が流れておりました。
普通の天気予報ではなくて、きっと船舶や航空関係、そんな人達向けのもののようでした。
 ドコソコ、風力何々、何ヘクトパスカル、晴れ、何度。
中年の男の声が淡々と、いつ始まって、いつ終わるのか分からぬような調子で延々続きます。
日本の主な都市を巡って、その内に、
 マニラ、風力何々、何ヘクトパスカル、曇り、何度。
 ウラジオストック、風力何々、何ヘクトパスカル、晴れ、何度。

 私、これを聞いていて、俄然、楽しくなりました。
テレビで眺める世界の天気予報、あれと大差はないのですが、ジージーと交じる雑音、その向こうから、時折微かに聞こえる外国語の放送、そして何よりこのおじさんの、何の装飾もない語り口、狭い湯船の中で一変、自分が外国を旅しているような気分となりました。

 こうなったら最後まで聞いてやろうじゃあないか。
そんな気持ちになりまして、少々のぼせ気味の頭で世界中を旅して回り、しかしお終いは、なんと、
富士山頂の天候でした。
 
 思いもよらず、ぱっ、と浮んだ富士の青。
それはなんとも、朝風呂によく似合う、清々しい光景でありました。

 


 
 




   

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2008年10月18日

何を食べてもアレの味

 最近、歯医者に通っております。
私、余程のことがなければ医者には掛かりませんから、これは余程のことであります。

 私の親不知は、上の2本はまっとうですが、下がどうにもひねくれ者で、なんと真横に生えております。しかしこれ、聞くところによりますと、左程珍しいことでもないそうですね。
 しかし、珍しくないと聞いても、これは何の気休めにもならないことで、抜くとなれば歯肉を切って、一体どういう道具を用いるものか、バリバリと歯を砕き、想像するだけでも恐ろしい荒療治となるそうです。

 真横に生えているものは、当然、真横にぐんぐん成長しますから、そうなりますと、他の歯が、詰めろ詰めろとギュウギュウやられて、お陰で私、自慢の歯並びが、ガタピシとなってしまいました。

 ガタピシとなるのは別段構わないのですが、これが大変痛いんです。
毎日のように鎮痛剤を飲み続け、そこまでするなら歯医者に行け、とも思うのですが、やっぱり行きたくありません。
 薬も飲み続ければ、段々と効かなくなり、いつぞやは旅行中、我慢が出来ぬ程の痛みとなり、薬局に行って、この店で一番強い薬をくれ、と言いました。
 これはトルコでの話ですが、そうしたら、今でも忘れません、水色の、小指2関節分もある大きな薬を処方され、これが効くの効かないの、一発で痛みが引いたと言うよりは、一発で眠りに落ちてしまいました。これが、10数年前の話です。

 それから幾年月、いまではもう、親不知もさすがに成長を止めましたが、しかし新たな問題は、上に向かって生える奥歯と、横に寝そべる親不知、ここにどうしても、埋めようのない隙間が生じているのです。
 隙間があれば、物が詰まるのは自然なことで、そうなれば、どんなに一生懸命歯を磨いたって、虫歯になるのは自明の理です。現に私、このお陰で、左の奥歯を1本無くしてしまいました。
 で、今回は、右の奥歯が大変な虫歯になっておりまして、左のようにポロリといけばいいものを、これが痛いばっかりで、ドシリと根を張り揺るぎません。その内に、左ばかりで物を噛むようになり、なんだか顔までが変形してくるようでしたから、ここまでくれば止むを得まい、ようやく腹をくくりました。

 久し振りに歯医者に行きましたから、あのセメントのような詰め物の味が気になって仕方ありません。何を食べても薬のような味がして、ようやくそれが薄れてきたかな、と思いますと、また次の治療の日がやって来て、新たにこれを詰め直します。
 生野菜や白米といった味の薄いもの物を食べると、本当に、消毒液を飲んでいるような気分となります。

 歯医者に通い始める少し前、ある畏まった会食がありまして、久し振りに上等なしゃぶしゃぶを頂きました。
 ところが、おかしなことに、何を食べてもスースーと、なんだかミントのような味がします。これ、原因は、例の奥歯と親不知の隙間でした。食事の前に噛んでいたミントガムが、ここにしっかりと挟まって、折角の上等な食事が、何を食べても100円ガムの味、これには本当に、寂しい気持ちとなりました。

 年を重ねれば、こういう奥歯に詰まった物というのは、自然、増えていくのでしょうね。
 何を食べても、自分が持って知った味がする。
これではなんだか勿体ないような気がいたしますから、歯医者に通い始めたことを機に、少し自省も必要かな、と思うこの頃です。

 



   

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2008年10月16日

フリーマーケット後記

 横浜のフリーマーケットに出店しました。
日産スタジアムで開催された、出店数400という大規模なもので、連休の2日間、幸い天気にも恵まれまして、多くの来場者で賑わいましたが、しかしその割には、いまいち振るわぬ売り上げでした。

 不用品と言いましても、私の場合、Tシャツの新品在庫もあれば、旅先で買い集めた骨董品、例えば汚い壺であったり、例えば破れた布であったり、しかし見る人が見ればなかなか素敵な品揃えでして、履き古したジーパンを50円で売るような、ああいう貧乏臭い真似は致しません。
 ですから、見る目を持つ人がいなかったのか、いても私のものを見なかったのか、見てもうっかり
買うのを忘れたか、とにかくまあ、冴えない成果でありました。

 前日から乗り込んで、中日にもう1泊、しめて2泊3日の小旅行、要らない物が旅行に化けて、おまけにチャリンと懐が鳴る。
遊び半分とは言え、そんなつもりでおりましたから、この結果には些かがっかり致しました。
 伊豆からえっちらおっちら交通費をかけ、ホテルを2日とり、都会の美味しい食べ物をここぞとばかり頬張って、そうしたら、あっという間に儲けが飛んでしまいました。
 ですから私、思い直して、もう1泊することに決めました。

 売り上げの少ない時こそ、金を使う。
これは私の、昔からの哲学です。
流れが停滞する時に、更にこれを堰き止めて、良いことなどありません。

 例えば腹が痛い1日。
酒を控えて、消化の良いおじやを啜ろう、なんていうのは素人の考えでして、こんな時こそ、実は大いにビールを飲むべきなのです。ビールを飲んで、ケチャップをいっぱいかけたアメリカンドッグなぞを頬張って、〆にソースたっぷりのたこ焼きでもつつけば上等です。
 まあ、一概には申せませんが、少なくとも私の場合はてき面でして、ケロリと痛みがなくなります。
きっとこれは、体が驚くのだと思います。まさかこんな時に、ビールやたこ焼きが、胃袋の中に流れ込んで来るとは思うまい、つまりは、自分の裏をかいてやるのです。

 不安事に囚われて、これがストレスとなる。
このストレスを解消するには、勿論、不安が無くなればよいのですが、そう簡単に無くなるならば、初めから悩む必要もない訳でして、つまり不安というものは、一度取り憑いたらなかなか離れぬタチのものです。ですから、これとうまく付き合っていく必要がありまして、そのためには、タブーを犯す、これが実に有効です。

 やってはいけないと思うことをやる。
するとその大元の、不安がなんだか曖昧になって、更にはなんとなく、これに打ち勝ったような気分となります。そうなれば、あとは拳を突き上げて、こう叫ぶばかりです。
 ざまあ見ろ、俺は俺を取り戻したぞ。

 こういうことを言いますと、人はよく、それは破滅型だ、と言いますが、なに、生あるものはいずれ破滅する宿命です、結果はどうでもよいのです。

 秋晴れの空の下、いらっしゃあーい、と声を上げ、それがその日その時の、すべてなのだと思います。







 




   

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2008年10月06日

フリーマーケット

 久しぶりに、フリーマーケットに出店しようと思います。
 
 私、フリーマーケットはまんざらの素人でもなく、その昔、2年間ほどこれを生業としておりました。
土日祝日、当時付き合っていた彼女とふた手に別れまして、1日2箇所、月に15箇所くらいは出店していたと思います。
 ナントカ殺すにゃ刃物は要らぬ、まさにこれを地で行く世界でして、梅雨時やちょうど今頃の秋雨の季節、恨めしく見上げた東京の灰色の空を思い出します。

 フリーマーケットを始めたのは、旅の仲間に誘われたのがきっかけでして、当時、旅行とアルバイトの繰り返しに倦怠を覚え始めていた私は、彼の話に一も二もなく飛びつきました。
 この彼は、アジアの国で買い付けた、旧日本軍の時計なぞを売っておりまして、旅をして、その
おつりのようなものが金になる、これがひどく魅力的に感じられました。

 ところが、やると思うは別物でして、その後私も、タイやインドへと買い付けの旅に出掛けましたが、これがちっとも楽しくありませんでした。時間に追われ、手続きに追われ、そうして何よりも、金勘定に追われ、しかしお陰で、本当に好きなものには、憧れを残しておかねばならぬことを知りました。

 その後、旅仲間の彼は、古着を扱ったり靴を扱ったり、二転三転した挙句、子供服に辿り着きまして、その内に、店まで構えるようになりました。オリジナルの商品を、タイやインドネシアの工場で作らせて、車も大きなものに買い替えて、アルバイトを雇ったり、まさにこれからといった時期でした。
 この頃にはもう、私もフリーマーケットを卒業して、デパートの催事なんかでTシャツを売るようになっておりましたから、段々と、彼と会う機会も少なくなっていきました。

 ある時、久しぶりに彼から電話がありまして、タイの工場から来た品物がひどい状態で困っている、バイト代を払うから検品を手伝ってくれないか、と頼まれました。
 私、あいにく都合が悪く、これを一旦は断ったのですが、余程事情が急いているのか、彼の執拗な物言いに負けまして、電車で1時間、川崎にある彼の店へと向かいました。

 そうして1日延々と、山積みにされたTシャツのほつれやシミを見つける作業に没頭し、ようやくこれを終えてから、同じように手伝いを頼まれた数人と、一緒になって焼肉をご馳走になりました。
それから駅まで送ってもらい、
 「これからも頼むね」
そう笑顔で言われたのが、最後でした。

 その数日後、彼は突然、亡くなってしまいました。
 蜘蛛膜下出血でした。
 お母さんが言うことには、昨夜遅く、人参などを細かく刻んで、鍋でインスタントラーメンを作る彼に、早く寝なさいよ、と声を掛けたのが最後だったそうです。
 本当に、眠るように逝ったとのことでした。
 私が20代の頃の話ですから、彼はまだ、30前後であったと思います。

 ここ数日、フリーマーケットに出す不用品を整理しながら、当時のことをあれやこれやと思い出します。色々な人々や、様々な出来事が、頭の中を掠めて過ぎる中、彼は、私にとって大きな転換をもたらした人であったような気がいたします。






 
   

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2008年09月24日

墓参の旅

 お彼岸ということで、お墓参りに行って来ました。
私の本家は埼玉の所沢、母方が千葉、そうして妻の方が、神奈川の平塚と日吉、
これをすべて、2泊3日で回ってやろうと考えました。

 墓参りだなんて20年近くもしないことですから、その不義理が祟ったか、とにかく慣れぬことはせぬものです、台風を避けたつもりが連日の雨、おまけに何処へ行っても車の渋滞、まさに心身共にヘトヘトになって帰って来ました。

 当たり前のことですが、墓というのは同じようなものがひとつ処に沢山とありまして、
一体どれが自分の家のものなのか、素人の私にはなかなか見分けがつきません。
それでも、私方のお墓の方は、どれも親戚と一緒に回りましたからつつがなく、ところが妻方の2つ、これを探し当てるのに随分と苦労いたしました。

 靴の中が濡れるような雨の中、妻は、傘を片手に赤ん坊をおんぶして、携帯電話でお墓の場所を尋ねますが、これがまた、ちっとも埒が明きません。
 「水道の近くの列の、右から3番目だって」
しかし水道は、数えただけでも10はあります。
 「それならば、墓の周りの景色を訊いてくれ」
 「小川があるって」
しかしこの小川、うまい具合に出来ておりまして、霊園の中を隈なく巡っておるのです。
 「墓の形は?」
 「四角だって」
 「四角と言っても色々あるだろう」
 「長方形だって」
 これは平塚のお墓でしたが、とにかく大きな霊園で、墓参する多くの人々を尻目に実に半刻、
ウロウロウロウロと、その内、自分が何を探しているのか分からなくなるようでした。
 そうしてようやく見つけたお墓の前で、初対面のご先祖様に手を合わせ、自分が何者であるのか、
そうして今回の思いつきの発端である、赤ん坊が産まれたことを報告しました。

 思いも寄らぬ渋滞に巻き込まれ、日吉のお墓に着いたのは、夕刻5時を回った頃でした。
こんな時間に墓参りをする者はいないのか、ガランとしたお寺には、人っ子ひとりおりませんでした。
 昨日の話ですから、幸い天気は良く、例の如くウロウロするにも幾らかましなようでしたが、
妻の怪しい記憶を頼りに、ローラー作戦よろしく、碁盤の目をなぞるよう実に沢山の墓石を眺めて歩きました。

 立派な花が生けられて、いまだ線香の白い煙が立ち昇るお墓もあれば、その一方で、随分と長い間人が訪れないのであろう寂しいお墓も、決して少なくはありません。
 私も、とても言えた義理ではありませんが、お彼岸という華やぐ季節であるだけに、そのコントラストがひどく印象に残りました。

 ようやくすべての墓参りを終え、見上げた夕空には、本当に、絵のように美しい、茜色のひつじ雲がどこまでも高く広がっておりました。
 やあ、秋だなぁ、と思いました。

 



 

 




 
   

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2008年08月29日

川崎宿探し 後編

 どうにも馬が合わぬ。
 一緒になってホテルを探し、今また、目の前で携帯電話を耳にあて、仕事仲間に宿を尋ねる運転手を見て、私はそう思いました。
 夕方から始まったつまづきは、なにもこの運転手のせいではないのですが、それでも、あの時1台見送って、別の車に乗り込んでいたならば、こんな川崎くだりまでやって来て、右往左往することもなかったろうに。
 今日の疲れと言うよりも、明日の疲れが、重く、肩や首にのしかかってくるようでした。

 それから10分ほど走り、運転手がしたり顔でこちらを振り向いたのは、雨の夜に、ぼうと明るく浮かび上がる、豪奢なホテルの前でした。
 どう見ても、仮の宿とするには勿体ない。
いや、それよりも、ここが一体何処なのかは分かりませんが、どうしてこんなところに、こんな建物が建つのか知れません。
 ともかくも、この際、多少の出費は仕方がない、と考えました。

 シャンデリアの照明が、眩しいくらいでありました。
 フロントには、痩せぎすの、白髪頭の老人がひとり、こんな時間に部屋を求める人間は稀なのか、私の動きをじっ、と追いかける露骨な視線が、とても挑戦的でありました。
 「部屋は、空いておりますか?」
 「少々、お待ち下さい」
白く骨張った指先で、手元のパソコンをゴニョゴニョといじくって、その沈黙が、5分にも、10分にも感じられます。
 「申し訳ございませんが、満室です」
 「ツインも、ダブルも、ですか?」
 「申し訳ございません」

 きっと泥酔者と思ったな。
 悔し紛れにピンと姿勢を正しまして、キュッキュッと踏み鳴らした靴音が、どうにも不快で、いつまでも耳に残るようでした。 

 「それじゃあ、もう一度訊いてみますね」
 運転手は、別段疲れた表情も見せずに、再び仕事仲間から宿の情報を集めてくれました。今度は電話番号までメモをして、丁寧にも、数件のホテルに連絡まで取ってくれました。
 ところが、いずれの宿も満室でした。
 「お客さん、この辺にはもう、宿はないそうですよ」
 さて、どうしたものか、頭の中を駆け巡るのはただ、念仏の如く、馬が合わぬ、馬が合わぬ、
その言葉ばかりでした。

 「駅にやって下さい」
 「それならば、駅前でお巡りさんに尋ねてみるといいですよ」
 運転手が最後に指差した交番は、もはや当然の如く、もぬけの殻でありました。
 古びた蛍光灯の黄色い明かりが、チカチカと、なんだか随分と前から人がいないような静けさでありました。

 飲み直すか、と思いました。

 

 
 




 





   

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2008年08月28日

川崎宿探し 中編

 「何処でもいいから、この辺で空いていそうな宿へやってくれ」
そう運転手に告げますと、タクシーはバシャバシャと、雨の夜を散らかすように走り出しました。

 運転手は、この手の客には慣れぬのか、仕切りにこちらを振り向いては、
 「何処でもいいと言われても、困りましたね・・」
しかし実際、こちらは何処でもよいのですから、
 「ビジネスですか、それともカプセルですか?」
 「本当に、何処でもよいからやって下さい」

 雨足は激しくなる一方で、流れ去る街の明かりは、極彩色に溶け出すようでありました。

 「それじゃあ、川崎に行ってみましょうか」
 「川崎?」
 川崎という、思いもよらぬ地名を聞いて、一瞬、自分が何処にいるのか分からなくなるようでした。
 「なに、お客さん。川を渡ったらすぐですよ。20分と掛かりません。川崎なら知っているビジネスホテルがありますよ」

 そうしてどれくらい走ったか、一体、いつ川を渡ったのか知りません。
それでも車は、いつの間にか繁華な夜の街なかを、右へ左へ、その内に、一軒のレストランの前に横付けされました。
 「お客さん、あそこです」
 運転手の白い手袋が指差した先、レストランのビルの上階には、確かにホテルのような四角い窓明かりが、ひとつ、ふたつ、しかし、夜目の利かぬ私には、これがいまいち、はっきりといたしませんでした。

 車を待たせて、雨の中、ホテルの入り口を探しましたが、何しろ酔っ払っておりましたから、見知らぬ街の風景が、前後左右に入り乱れ、ただ、徒にうろうろと、その内に見かねた運転手が車から降りてきて、一緒になって探してくれました。

 ところが、どうしても、入り口が見つからないのです。
運転手は、暗い雨空を指差して、あそこがホテルのはずだ、あそこがホテルのはずだ、と繰り返すのですが、私は徐々に、彼が勘違いしているのではないか、と疑い始めておりました。

 「あそこはホテルですよねえ?入り口はどこですかね?」
 躍起になった運転手は、どこか意固地になるようで、行き交う人々を捕まえてはそう尋ねましたが、しかし皆、口をそろえて、「さあ、知りません」 と、答えます。
 それでも彼は諦めずに、ビルの奥の、明らかにマンションのものであろうエレベーターを昇ろうとしたり、何処かに、恐らくは仕事仲間であるかと思いますが、電話をしてホテルの入り口を尋ねたり、
事態は間違いなく、私の問題から彼の問題へと形を変えたようでした。
 私はなにも、このホテルでなくてもよい訳ですから、彼のモヤモヤに付き合っているのが、なんだか馬鹿らしく思えてなりませんでした。

 「他へ、行きましょう」
 幾度目かの提案に、ようやく諦めた運転手と車に戻り、その発車際、もう一度、彼が仕切りに指差していたビルを見上げますと、確かに、暗く目立たぬものではありましたが、確かに、「何々イン」と書かれた看板が、黒く雨に濡れそぼっていたような気がいたします。
 それは、すうと糸を引くように、後方に、静かに流れて消えました。



   

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2008年08月27日

川崎宿探し 前編

 急な仕事で、東京に出掛けておりました。
そのついでに、久し振りの友人に会おうと世田谷まで足を伸ばしました。

 あいにく降りだした夕雨のなか、友人の仕事終わりを待ちまして、商店街を随分とうろつきました。
古本屋で汚らしい文庫本を買って、喫茶店でコーヒーを飲み、それでも時間はなかなか過ぎないようでした。

 今夜はこの町に宿を取ろう、そう決めて、ようやく見つけたビジネスホテルの急な階段を上りますと、フロントに座る若者は、犬のような髪型をしておりました。
 「部屋は、空いていますか?」
 「満室です」
 「そうですか。この辺に、他に宿はありませんか」
 「さあ、知りません」

 小腹が減ったのでラーメン屋に入りますと、ちょうど店を閉める間際のようで、私が最後の客でした。ふた組いた先客は、いずれも近所の人間なのか、店主に馴れ馴れしい言葉をかけて、その内にいなくなりました。ひとり取り残された格好で、いつまでもズルズルとやっているのは申し訳ないようでしたが、それでも爪楊枝までしっかりと使って、
 「この辺に、宿はありませんかね」 
するとやっぱり、
 「さあ、知りません」
 外はもう暗くなりかけて、傘を買ったほうがよいかな、と思わせる雨立でした。

 面倒なことは先送らない方がよい。
しかし、先送れば某かの事情が変わって、その時にはさして面倒ではなくなっているかも知れない。
そんな理屈をこねまして、宿探しは、友人と飲んでからにしよう、と決めました。

 スーパーで買った惣菜を肴に、友人の家で大いに酒を飲みました。
家と言いましても、彼が暮らすのは4畳半ひと間のアパートですから、勿論、風呂もトイレもついてはおりません。それだって、泊まって泊まれぬことはないのですが、明日のことを考えれば、明日は私、午前中にもう一度仕事の打ち合わせをして、その足で、車を運転して伊豆まで帰らなくてはなりません。ですから今夜はどうしても、フカフカとしたベッドに身を沈め、十分に体を休めておきたい、そう考えました。年を重ねるということは、こうやって利口になっていくことなのだと思います。

 グニャグニャと歪み始めた部屋を出て、近くを走る大通りまで送ってもらい、首尾よくやって来たタクシーに乗り込んだのが、10時を回った頃でした。
 昼間の歩き過ぎがこたえたか、両の爪先がキュンキュンとつるようで、雨足はいよいよ激しく、ことは夕方よりも面倒な事態となってしまったようでした。
 

 

   

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2008年08月18日

紀伊半島後記 後編

 伊勢うどんを思いっきり食べてみたい、そう言って出掛けまして、私、これを一度も口にしませんでした。チャンスはいくらでもあったのですが、はるばる伊勢までやって来て、どうしてうどんなんかを食べなくてはならぬのか、と、結局、天婦羅や鰻なんぞをモリモリ食べて帰って来ました。

 あることを思い立ち、これを夢見て楽しむことは、ひとつの立派な娯楽であります。
これはもう、それを実現して味わう思いとは、別物なのであります。

 伊勢神宮に熊野大社、それから高野山。
私、この旅は、これらの神仏に呼ばれたものとまじめに考えておりましたが、やはりこれも、夢の類であったことを知りました。
 投げ銭をチャリンとやって、パンパン、行くか。
実に、何の感慨も湧きません。
実際に神社にいた時間は数分ばかりで、さすがに自分でも、何なのだこの淡白さは、と思いました。

 これはきっと、現実と頭の中のギャップによるものに違いありません。
それでも、実体がないことには夢も見ようがありませんから、たとえ観光客がワンサカいようが、土産物屋がガチャガチャと軒を連ねていようが、そこにお伊勢さまがある、それが大事なことなのだと思います。
 ですから巡礼は、旅立つ前に終えたものと考えました。

 で、後は何をしていたかと申しますと、和歌山マリーナという施設にあるホテルに宿を取り、1日中ボサノバの流れるプールサイドでビールを飲んだり昼寝をしたり、別に和歌山じゃあなくてもよいのでは、という数日でしたが、しかし結局、ここが1番楽しかったように思います。
 あれもこれもと欲張らず、次回はひとつの場所に長居して、ゆっくり過ごしたいものだなあと思いました。

 ところが最近、改めて、お伊勢さまのことを考えます。
私、何も知らずに出掛けたものですから、てっきり平安神宮のような、朱塗りの立派な社殿を想像いたしておりましたが、そうではないんですね。
 広い砂利敷きの境内を、暑い中、延々と歩かされまして、ようやくたどり着いた社殿は、茅葺の、
小屋のような佇まいでした。
 拍子が抜けるとはこのことでして、私、ここでいいのかな、なんて辺りを見回したほどでした。
それでも、次から次へとひっきりなしにやって来る参拝客、なんだか不思議な光景でした。

 しかしこの簡素さが、後からジワジワと、深い味わいとなりました。
あの小さな社殿を目指して、実に多くの人々が、日々全国から集まって来ます。
これはやはり大変なパワーでして、その大変なパワーを持つものが、大変素朴な佇まいである、
このことが却って、凄みといったものを感じさせるようでした。
 今思えば、大勢の人間がワイワイと行き交う中、それでも境内は、しんと静寂に包まれていたような気がいたします。
 伊勢神宮、噂に違わぬ聖地でした。

 もっともこれは、私が再び夢の中に戻っただけのことでして、もう一度訪れれば、やっぱりパンパン、行くか。と、なるのでしょうね。


 



 

 

 





 
   

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2008年08月12日

紀伊半島後記 前編

 いやあ、暑いですね。
こう暑いと、どうにもやる気が起きません。
早起きをして、涼しい内にやるべきことを片付けてしまうのが理想ですが、寝起きからそう体が動くはずもなく、その内についついビールに手が伸びまして、そのまま蜩の鳴く声に耳を傾ける生活です。
昼間からビールを飲めば、自然、夜の8時頃には眠くなり、つまりは、早寝をするために早起きをしているような毎日です。

 紀伊半島に1週間ばかり遊んできまして、帰ってから、更に1週間が経ってしまいました。
それでも、いまだ旅行気分が抜けず、この旅行気分、どういう気分かと申しますと、
何もしない生活に何の不安も覚えない、そんな気分であります。
 家におりますと、1日無為に過ごしただけで、ああ、明日はしっかりやろう、こんなにダラダラとやっていたらきっと人間が駄目になる、なんて、私の場合すぐに自省したくなりますが、ところが旅の間は不思議なもので、そういう思いがちっとも湧きません。1週間だろうが1年だろうが、何をためらうこともなく、阿呆のような生活をして、それで大いに幸せなのです。
 このところ、家にいてもそんな感覚が続いておりまして、これを暑さの賜物と言うべきか、
いよいよ一線越えてしまったと懸念すべきか、自分でもよく分かりません。

 旅行の途中で、三重に住む友人を訪ねました。
先方には何も知らせず、いきなり訪ねて驚かせてやろうと考えましたが、肝心の住所や電話番号を忘れてきまして、我ながら、その間の抜けように呆れました。
 数年前に、連れられて一度訪ねたばかりの記憶は、甚だ曖昧でありました。

 手掛かりは、家の前を流れる川。川の名前は分かりませんが、周辺の景色はなんとなく覚えておりますから、行けば分かるに違いありません。
それから、手紙のやり取りがありましたから、地名もなんとなく知っています。
そうして、人に訊くにはこれが最も有力な情報だと思うのですが、この友人、家の前で軽のワゴンを出して、たこ焼き屋をやっております。もっとも、ここ数年交信がありませんから、1日の売り上げが平均3パックというこのたこ焼屋を、友人がいまだ続けるものかは分かりません。
 もしかしたら、そこにはもう住んでいない、という可能性だってあるのです。

 それにしても、暑い1日でした。
車の通らぬだだっ広い農道を行ったり来たり、覚え知る地名は思いのほか広い範囲に渡り、地図上の河川を示す青線も、ゴニョゴニョと複雑に絡まり合って、思わずページを引き千切りたくなるようです。人に尋ねようにも、道行く人影はまるでなく、ただ、時間ばかりが徒に過ぎていくようでした。
 もしかしたら、辿り着けないのではなかろうか、そんな不安が頭をよぎりました。

 バックミラーには、夏の青い空、黒いアスファルトからはユラユラと、陽炎が立ち昇っておりました。
 その陽炎の向こうから、浮かび上がる蜃気楼のように、一点、小さな赤い影が現れまして、これが都合の良いことに、郵便配達のバイクでした。
 配達夫に道を尋ねる。なんて賢いアイデアだろう。
私、長いトンネルの先に僅かな光を見たようで、急いで車を降りて手を振って、この頼もしきナビ助に、ありったけの情報を託したのでした。
 川が流れていて、こんな感じの家で、それからようく聞いて下さいよ、軽のワゴンでたこ焼屋をやっています・・。

 ところがこの配達夫、70にも近いであろうおじさんでしたが、開口一番、配達区域が違うからよく分からない、と答えました。
それでも人の良いおじさんで、路肩にバイクを停めて5分ほど、ああだこうだと一緒に考えてくれまして、その内に、私の車のナンバーに目が留まり、「随分と遠い所からやって来たなぁ」なんて、世間話が始まりました。
 そうして私の目的とはまったく関係のない話をすること更に数分、突然、それはまったく突然でありました。
 「ああ、たこ焼屋か!」
おじさんが、雷にでも打たれたかのようにビクリとなって、
 「知っとるよ。俺も食べたことがある。軽のワゴンだろ!」
とまあ、事態は急転、そうです、そうです、そのたこ焼屋です、となったのです。
 親切に、何度も何度も繰り返し道を教えてくれまして、聞けばどうやら、ここから10分とかからぬ距離のようでした。

 で、この時ひとつ気になりましたのが、このおじさん、「ちょっと」という意味で、「鼻くそ」という言葉を連発するんです。
例えば、「鼻くそ熊野の方に戻って・・」とか、「信号を折れて鼻くそ行ったらすぐだよ・・」とか。
 これ、おじさんの独自の言い回しなのか、それともこの辺りの土地の言葉なのかは分かりません。
しかし私、これが鼻くそ気に入ってしまいました。

 そうして訪ねた友人は、残念ながら留守でして、しかし、男やもめの洗濯物が風に揺れ、いまだこの家に暮らすことは知れました。
 もう少し待ってみるか、と後ろ髪引かれるような思いでしたが、思わぬ時間の過ぎように、土産のビールと置手紙を縁側に残し、一路、和歌山の本宮へと向かいました。
 またいつ会えるか分かりませんが、どうぞ、達者で。

 







 

 

 



 

 
 

   

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2008年06月30日

紀伊半島

 伊勢うどんって、ご存知でしょうか。
ふっくらとしたモチモチの極太うどんに、独特の黒い濃厚なタレ。
葱を刻んで卵を落として、それだけでも十分クセになる美味しさです。
 これを本場で存分に味わいたい、そう思っておりましたら、なんとなく、日々の生活にシグナルが
現れ始めました。

 何の気なしに雑誌をめくっておりますと、「特集・紀伊半島」。
おお、と思って眉根を寄せると、途端電話が鳴りまして、これが先日、ある人にウナギの寿司を送ったお礼の電話でした。
 「三重に行かれていたのですか?」
カタログで、産地も知らずに頼んだ物が、なんと三重のものでした。
更にこの時、自宅用に一緒に頼んだみかんジュースが、よく見れば、和歌山のものでありました。
 むむむ、もしかして。
と、新たに強く意識して、テレビをつければドンぴしゃり、お伊勢参りの旅番組。
 これはもう、どうしても呼ばれている。行くしかない、となりました。

 こういうシグナルというものは、まあ、こじつけのようなものですから、意味を成さない場合には、
まるで意味を成しません。
 しかし、世の中は広大無辺のようでいて、そのそれぞれが、複雑に絡み合って成り立ちますから、
思いも寄らぬ遠い世界の末端が、実は自分の身近に転がっていた、なんてことも決して珍しいことではありません。
 要は、そういうものをいちいち拾って、意味を与える、そんな気分であるかないかの問題でして、
私まさに、最近そんな気分なのであります。

 で、実はあんまり知らなかった紀伊半島、数年前に一度訪ねたことはあるものの、この時は友人の家を訪ねたばかりで、何を見て何を食べたということもありません。
 唯一連れて行ってもらった名所といえば、那智の瀧くらいなものでして、あとはこの友人の綿密な
プランのもと、5月の寒空の下、パンツ一丁で泳がされたり、焼酎の空ボトルに何本も持ち帰った海水を、ぐつぐつと丸一日火にかけて、大量の塩を作らされたりした数日間でした。

 そこで、改めて調べてみますと、紀伊半島、なんだかとても良さそうです。
伊勢神宮は勿論のこと、高野山、熊野古道、ちょっと私の好きそうな、土地の持つパワーといったものを感じます。加えて美味しい食べ物も多い様子で、写真をペラペラと眺めるうちに、私、伊勢うどんのことなんか、すっかり頭からなくなってしまいました。
 よし、行くぞ。
来月辺り、1週間ばかり行ってこようと思います。

 赤ん坊が出来てから、旅行らしい旅行をしておりませんでしたが、とりあえず、先日箱根に行きまして、大丈夫そうだなぁ、なんて成果を得ましたので、そうなれば、夢は膨らむ一方です。
 年内には、九州まで足を伸ばすぞ。
これ、出来れば車で行きたいなぁと思います。車の方が、なんとなく、楽しそうではないですか。
 九州まで、えっちらおっちら、4日くらいかけまして、すると行き帰りで8日間、となれば、3週間くらいは欲しいですね。
 日本の場合は高くつきますから、テントや車、民宿なんかを大いに利用して、最近は、海外に出ても昔と違って金に余裕がありますから、久し振りの貧乏旅行、いいんじゃないかなぁ。

 モチモチうどんが信仰の地に繋がって、やがてそれが、自分の原点を思い起こさせる。
何事も、それらしく言えば、それらしく聞こえるものです。
 

 


 


   

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2008年06月23日

箱根のフレンチ

 折角箱根に行って、おかしなおじさんの話だけではなんですから、ちょっと違うお話。

 2日目の宿は、座敷でフレンチを食べさせる、という宿でした。
 私、フレンチが食べたいというよりも、何処へ行っても刺身や天婦羅、これに飽き飽きとしておりましたから、結構楽しみにしておりました。
 住宅地に佇む小さな宿で、聞けば、どこぞの会社の保養所を改装したものだそうです。
夕方、近所を散歩してみますと、まるでお城のような豪邸が建ち並び、確かに会社の保養所も、
点々と目に留まります。大変、お金持ちなエリアです。

 一体どれくらいの金があったら、こういう家を建てられるのだろう、と考えました。
家を建てるのに掛かる費用だけでは勿論駄目です。
それくらいの金を使っても、ビクともしない金がなければ困ります。
 10億や20億。
あるところにはあるのだなぁ、と、暮れる夕空を眺めながら思いました。

 で、肝心のフレンチ。
 フレンチと知って予約を取り、そうして膳の前にあぐらをかいてビールを飲み、さて、と言うのもなんですが、フレンチって、どうですか。
ああやってちょこちょこと出されては、なんだか食べた気がいたしません。
それに部屋食ですから、しょっちゅう仲居さんがやって来ては、あれやこれやと料理の説明をいたします。迂闊に持ち込んだウイスキーを飲むことも出来ません。

 いえ、この形式こそ、フレンチなのです。
そう言うでしょうか。
それとも、お客様に、たまにはごゆっくりとお食事を召し上がって頂きたいのです。
と言うでしょうか。
 そういえば、部屋のテレビも驚くくらいに小さくて、これはテレビなんか見ないで、鳥のさえずりにでも耳を傾けなさい、そういうことなのかな、なんて思わせました。

 朝食もやっぱり同じようでして、ひとつの皿を食べないと、次を出してくれません。
一体次が、どれだけあるのか分かりませんから、なんだか腹分量もうまくいかない、
食べたくないから残しているのに、先程からボーイはまだかなぁ、なんて顔をしている、
とにかく面倒臭いなぁ、なんて、思いました。

 しかし、これ、私がせっかちなだけなのだと思います。
多分こういうことが好きな人は、結構いるのだと思います。
 ですからこの宿、家族向けではありませんが、女性同士の旅なんかには、向いているのではないでしょうか。

 で、もうひとつ。
仮にこの宿のフレンチが、例えば、有名な五つ星のレストランのシェフが作っていたら、私、感動していたでしょうか。
普段フレンチを食べ慣れない、そうして実際に食べてみても、何だかんだと文句を言っている私が、
やっぱり感動したでしょうか。

 極めたもの、というのは、多くの人に受け入れられる。
興味の垣根を飛び越えて、良いものは良い。訴えるものは訴える。
そうですよね。
 しかし、それは理想であって、本当は、そうではないのかも知れません。
事実、先日のフレンチだって、何処かのホテルでチーフだったというシェフが、随分と手間の掛かった料理を出し、味もまあまあ、まずくはなかったのですが、私には、残念ながらそのチーフの手間が邪魔と思えてなりませんでした。
 伊勢海老は、刺身で出して欲しかった。
 醤油で食えば、もっと美味しいのに。
 
この垣根、一流のシェフなら越せるでしょうか。

 越して欲しいと思いますね。
好きな人は好き、だけでは、つまらないですものね。  

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2008年06月20日

箱根のおじさん

 箱根に行っておりました。

 平日とはいえ、さすがは箱根、結構な賑わいでした。
特に湯本の駅前は、古くからの箱根の入り口、歴史ある温泉街と眺められました。
あれで車が少なければもっと良いのですが、実は私も、車で行ったのでした。

 やることがありませんから、うろうろと、色々なところに行きました。
 元来が時間潰しですから、何処に行き何をしようと、実は頓着がありません。
それでも、ある場所であるものを見て、あるものを食べたりするということは、家にいるよりも
よほど楽しいことなのです。

 赤ん坊を連れておりましたから、色々な人に声を掛けられました。
声を掛けてくる人は、当然、赤ん坊が好きな訳ですから、おしなべて好人物です。
 「かわいいねぇ」と言われれば、「そうでしょう」と答えます。ひとつも悪い気分はいたしません。
 
 「ひとさらいに気をつけて」
スーパーで出会ったおばさんは、そんなことを言いました。
 何でもない会話の中にも、人の暮らしって、垣間見えるものです。
このおばさんは、少し寂しげな人と目に映りました。

 静岡から箱根に入る入口に、小さな道の駅がありまして、さすがにグネグネと登って来ただけありまして、車を降りて、ヒュウと横切る冷たい風、半袖ではちょっと肌寒いようでした。
 一望する芦ノ湖の見晴らしも、一面のモヤに白い煙幕を眺めるようで、小さな食堂と小さな売店に
これといった用事もありませんから、自動販売機でお茶を買い、車に戻るその途中、駐車場である
おじさんに話し掛けられました。

 60代と見られる、白髪のおじさんです。
私の妻に、「赤ん坊の前でご主人の悪口を言っちゃ駄目だよ」と言います。
 「私はね、女房が赤ん坊の前であんまり私の悪口を言うものだから、この間ね、とうとう白衣を着た
男が3人家に現れて、何をするのかと思ったら、いきなり拘束されて、精神病院に入れられちゃった」
 「今も裁判で争っていてね。何もかも、みんな持っていかれちゃった」

 パッと見て、至って普通のおじさんです。
おしゃべりが好きそうな、人の良さそうなおじさんです。
 しかし、言っていることはまるでトンチンカンでして、私は、このおじさんが何を言っているのか、
終ぞ理解できませんでした。

 女房が子供の前で旦那を馬鹿にする。だから子供も父親を馬鹿にするようになる。
分からない話ではありませんが、「白衣の男」、「精神病院」、「裁判」となると、ちょっと尋常ではありません。このおじさん、車で旅して暮らしていると言っておりましたが、本当でしょうか?

 すべてがおじさんの妄想なのか、ひょっとしたら私が騙されているだけなのか、とにかく、とても優しそうなおじさんでした。袖触れ合うも他生の縁。どうぞ、お達者で。


 


 



 



   

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2008年06月06日

再び屋根裏 2

 好奇心とは、さほど旺盛なものではない、というお話です。
 例えば、蕎麦にこだわる人にも、蕎麦本来の香りやのどごしが好きな人、実はおつゆが好きな人、
蕎麦ではなくて、蕎麦屋の女将が好きな人、これはもう、挙げればキリがありません。

 おつゆの世界を辿って行けば、当然、醤油の世界に繋がるでしょうし、
醤油の世界は、大豆の世界、畑の世界へと繋がるでしょう。
 一方で、ダシの方へと興味が湧けば、これはきっと、海へと辿り着くでしょう。

 夏の蕎麦屋で、扇風機が回っていて、ビールを飲みながら、ユラユラと、天井の明かりを映す黒いつゆ。その背景には、広い、大海原が広がります。

 とまあ、やったらキリがありませんから、
普通はあんまり、あれもこれもほじくり回して、覗き込んだりはしないですよね。
 知らないものは知らない。興味のないものに関心は持たない。
 世界の深遠に、はまり込んだら大変です。

 以前、私の知り合いに、こんな人がおりました。
ある山で暮らす絵描きさんですが、この人、大変真面目な人です。
物事の突き詰めようが、尋常ではありません。

 ある日、自分の使っている絵の具のことが気になりだしたそうです。
これは一体、何から出来ているのだろう、と。
そこで実際、自分で絵の具を作ってみて、一応は納得いたしまして、さて、今度はキャンパスが気になるのだそうです。
 これは何だろう? と。
 すると絵筆も気になってきて、絵筆がメガネ、メガネがヤスキヨ、と、道はどんどん続きます。
 表現とは何だろう、物を作るとは、どういうことだろう。
 ところで僕は、誰だろう?
実に怪しくなってまいりました。

 その内に、この人、縄文土器を作り始めてしまいました。
 随分と遡ったなぁ。
私、この人のことを、なんとなく尊敬いたしました。
 しかし、それ以上に感心させられたのは、やはりいずれの道にも先人があるということでした。
縄文土器の世界にも、第一人者と呼ばれる人がいるそうでして、この絵描きさん、その人に師事したのだ、と言っておりました。
 絵描きさん、心なしか胸を張るようでした。

 
   

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2008年06月03日

再び屋根裏 1

 最近また、屋根裏ばかりをいじくっております。
梅雨が始まったかのかと思わせる、連日の雨。
屋根裏の小窓から覗く青笹が、しんなりと、とてもきれいです。

 勢いに任せてやらないと、途中で挫折して、後がなかなか進まない。
そんなことって、よくありますね。
 始めれば、終わる。
そう信じて、以前は、やりたくないことでもとにかく始めてしまえば終わる、
ですから私、始めた途端に、「終わったぁ」と思うことにしておりましたが、最近、そうもいきません。
頓挫というものを覚えてしまいました。
何事も、中途で止めてばかりおります。

 しかし、好奇心というものは、大概、旺盛ではないものです。
 すべてのものには、当然、それぞれの奥深い世界というものがありまして、つまり好奇の対象は、
数限りなくあるはずですが、そんなに色々な事に、興味って湧きませんよね。

 例えば、蕎麦の世界。これは結構、混み合っておりますね。

 以前見たテレビの番組。
有名な蕎麦の評論家が、長野か何処かの、蕎麦打ち名人の店に蕎麦を食いに行きます。
 撮影のため貸切ったと思われるガランとした店の中で、この評論家、ズズズッーと、確かに威勢の良い音を立て、とても旨そうに蕎麦を啜ります。
蕎麦を知り尽くした熟年の錬味、そんなものを感じさせます。
 レポーターが、どうですか? と尋ねますと、箸を置き、茶を啜り、コホンとひとつ咳をしてから、
「いい腕です。あっぱれ」
なんて、言いました。

 一方で、蕎麦を打った方の名人。これも、この界隈では名の知れた人物です。
ですから今日は、改めて言うまでもなく、名人同士の「ぶつかり合い」です。
 で、この名人。
厨房の入り口から半身を乗り出し、相手の様子を探ったりして、随分と弱気です。
 裏で煙草でも吸って、ついでに紹興酒でも舐めたりしてればよさそうなものですが、きっと評論家の方が格が上なのだと思います。言ってみれば、固唾を呑んで見守っている、そんな風でした。
 こちらにも、やはりレポーターがおりまして、どうですか、今の心境は?とマイクが向けられました。
するとこの格下名人、
「さすがです。蕎麦を啜る音が違います」と、言いました。

 これ、なんだかピントのずれた褒め方だと思うのですが、どうでしょうか。
それともこの世界、これで良いのでしょうか。
確かに蕎麦を啜る音って、格好良くやりたいなぁ、と、私も常々思います。

 蕎麦を啜る音でその人物が分かる。
何事の世界も、奥が深くて難しいものだなぁ、と思いました。  

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2008年05月30日

ラリーの思い出

 ラリーの続かないバドミントンって、つまらないものですよね。
やっている当人が下手糞ならば、これは仕方がありませんが、そうではなくって、こんな場合もあるのです。

 ひと頃、旅には必ずバドミントンを持ち歩いておりました。
なにせ旅行中は暇ですから、運動も兼ねたいい時間潰しとなるのです。
バックパックの横ちょに、ラケットをキュッと縛りつけ、これが私のお決まりのスタイルでした。

 ミャンマーの田舎町で。
暮れ時、ようやく涼しくなり始めた頃、赤土の道端で、近所の子供たちと毎日のようにバドミントンをやりました。
 「バドミントンクラブ」と銘打って、そのメンツは、日によって多少の入れ替わりはありましたが、
とにかくみんな、飽きもせず夢中になってやりました。
 最初は遊んでやっているつもりだった私も、その内に、連中の学校の終わる時間が待ち遠しくなってきて、結局は、私が一番の暇人だったのだと思います。

 で、なにしろ10人ばかりの腕白が、競い合ってやるものですから、案の定、ある日ラケットが壊れてしまいました。
 仕方がないので、新しいものを買おう、となりまして、町で唯一の、何でも屋のような雑貨屋に行きました。軒の傾いた、埃を被ったような小さな店でしたが、それでも、棚隅に中国製のラケットを見つけまして、店主がこれしかない、と言うのでそれを買いました。

 ところが、このラケット、どうにもうまくないのです。
どううまくないのかと申しますと、サーブが来ますね。で、これを打ち返そうとすると、
パコッ、と羽が、ガットの網目にはまってしまうのです。
つまりは、ガットの張りがユルユルなんですね。
下手をすると、サーブでいきなり、パコッ。
一瞬、羽は何処に消えたかと思います。勿論、きちんとラケットにくっついているんですけどね。

 なるべく強く振らないように。
そう指示を出し、心掛け、騙し騙し打ち合って、それでもやっぱり、興奮に理性を忘れてしまうのが子供です。幾度か打ち合う内に、そんなことはすっかり忘れて、パコッ。おおい、注意しろよ、パコッ。
 段々と、パコッ、となることに喜びを覚え始めて、こうなると、ラリーもへったくれもありません。
 思い出せば、田舎の景色によく似合う、とてものどかなバドミントンでした。

 ラリーというオーストラリア人がおりました。
伸び放題の長髪に、赤いTシャツを着て、膝下を切ったジーパン姿、如何にもオージーといった、
野性味のある男でした。
 私、このラリー他数人と、中東の国々をつるんで旅したことがありまして、
ある時、お腹の調子がおかしかったものですから、ひとり夕飯を断って、宿に帰ったことがあります。
 この別れ際、仲間のイギリス人は、「大丈夫か。俺の薬をあげようか」と言いました。
まだ10代の、背の高い、色の白い青年でした。
 また、フランス人は、これはその後も一番長くつるんだ男でして、私よりも10年上の、ミュージシャンでありました。この彼、私が露店で林檎を買ったのを見て、
「林檎はお腹によくないぞ」と言いました。
 で、ラリー。
ラリーは黙って片目をつぶって、親指をチュッと、私に投げキッスをいたしました。
 三者三様、それぞれの性格が表れるようで面白かったのですが、私、ラリーのこういうところが好きでした。

 このラリー、ある日、ワディラムという、「アラビアのロレンス」の舞台となった砂漠を歩いて、
何処ぞの村まで行ってくる、と言い出しました。
 私は、そういうしんどいのは苦手ですから、ふたつ返事で辞退して、そこで彼に別れを告げました。
 ところがその翌日、ラリーが宿へ戻って来たのです。 
どうしたのだと尋ねると、水ばかりを持って行って、食料を持っていくのを忘れた、と、考えられないようなことを言うのです。
 水をリュックに30リットル背負って行ったと言います。
それで食料は、パン一斤と林檎1個しか持っていかなかったそうです。
その食料を、初日、つまり昨日の晩に食べ尽くして、砂漠で野宿して帰ってきたのだと言うのです。

 水ばかりが頭にあったよ。

やれやれと笑うラリーを、私、益々好きになりました。
 砂漠の星は、きっときれいだったに違いありません。




 





   

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2008年05月27日

殺生

 私、無益な殺生はなるべくしないように心掛けております。
 バラモン教でしたかゾロアスター教でしたか、虫を踏み潰さぬように裸足で歩いて、吸い込まぬように口鼻を覆って、これはさすがにやり過ぎだと思いますが、徒に命を奪う、これはやっぱりいけません。
 一方で、蚊なんかは平気でバシバシとやりまして、しかしこれ、害のあるものとないもの、その分別なのであります。
 以前、マラリアに苦しめられた私は、蚊は、許されるだろうと思うのです。
 
 ムカデやスズメバチ。
こういうのは、無論、好きなわけではありませんが、なるべく捕まえて逃がしてやります。
 蚊と違って、人を狙う虫ではないですからね、基本的に無害だと思うのです。

 殺生とは、やはり恐怖の裏返しなのだと思います。

 最近、畑の枝豆が元気でして、これが青々と、雨上がりの夕方などは、湿った土の色に映え、
とてもきれいです。
 しかし困ったことに、この枝豆にたかる虫がおりまして、それは鋼色の小さな丸い甲虫です。
 この甲虫、なんとなく放っておきましたら、段々と数が増えまして、気がつけば、新芽の辺りにビッシリと、この間などは、茎を1本食い折られてしまいました。
 こうなれば、放っておくわけにもいかず、それからは、見つけるたびに掴み取って、何処かに放り投げたり、プチプチと、潰したりしておりました。

 ところが、あんまりプチプチとやっている内に、私、なんだか気が滅入って参りました。
そうして、こんなことを考えました。

 俺は本当に、こんなに沢山の命をプチプチとやってまで、枝豆が食いたいのか?
俺がこの夏食う枝豆は、そんなに価値があるものなのか?
市販の冷凍の枝豆だって、十分に美味しいじゃあないか。

 やはり殺生は、宜しくない。
追っ払いながら、収穫出来る分だけ収穫すればよい、そう反省いたしました。

 今日の夕方は、この虫を捕まえては放り投げ、しかしこれ、ブンブンと飛び回る羽虫ですから、
しばらくするとまた戻って来て、あんまり意味がないようでした。
 
 どれくらいそんなことを繰り返したのか、お仕舞いに水を撒き、いやあ、暑い一日でした。





   

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