2007年06月15日

奈落憧憬 名人伝

 私、ごくたまに、周りからダメな人間だと言われます。
ごくたまにですから、あまり気にはしていませんが、自分では別段ダメでもなく、普通であると思っております。

 しかし、ダメな人間に惹かれる傾向は、事実ありまして、これ、こんな理由からだと思うのです。

 「名人伝」というお話をご存知でしょうか。
 ある弓の達人が、更なる修行のため、山に入ります。
数十年の時が流れて、ようやく里に下りた頃にはすっかり年寄りとなっておりますが、しかし、そのただならぬ雰囲気、これは遂に弓の道を極めたに違いない、そんな噂で村はもちきりとなります。
 村の人々は、その腕前をひと目でも見てみたい、ところが当の名人は、弓を打つどころか、それを手に取ることさえいたしません。
 そうしてある時。
村人の家に招かれた名人が、床の間に飾られた弓を指し、これは一体どうやって使うものかね、と尋ねたのです。
はじめは冗談かと取り合わなかった主人も、やがて、名人が本当に弓を忘れてしまったことに気づくのです。
 弓を極めて弓を忘れる、そんな境地に達した名人の噂は瞬く間に広がって、しばらくの間は、絵描きは絵筆を隠し、音楽家はその楽器を隠した、というお話です。

 忘れてしまえば、これは、知らないのと同然ですね。
つまり、ある域まで達した名人と、はじめから何も知らない人間は、実は同じ境地にいるのだと思われます。
 しかし、はじめから何も知らない、また、その知らないままの境地でいつまでもいられる、なんていう人間は、極めて稀でありまして、やはり普通は、年を重ねるとともに、要らぬ知性や節度といったものが身について、中途半端な人間になってしまうものであります。

 ところがこれに当てはまらない、並々ならぬダメ人間って、いますよね。
ちょっと考えられないくらいの無計画で、人生の奈落に限りなく近い場所で生きている、そんな人。
 こういうダメ人間って、天然無垢とは違いますけど、実は私、名人に非常に近いところにいるのではないかと思っております。
 名人が、弓を極めてそれを忘れたように、ダメ人間は、弓を投げ捨てそれを忘れる。
この両者、やって来た道はまるで正反対ですが、いずれ必ず、すれ違う場所があるような気がするのです。
メビウスの環のように、きっと繋がっている気がしてならないのです。

 私、自分の性格を考えますと、精進して立派になってその高みに達するよりも、ダメの底の底を見て、本当にダメのヘドロに横たわって、そこで同じ境地に達してみたい。
これはなにも、私が変態だと言いたいのではなく、単に方法の問題ですから、そうやって行き着こうと願う場所は皆さんとまったく同じ、至ってまともな話なのです。

 ところがこのダメ街道、一見、名人への道より遥かにお気楽な感じがいたしますが、実はそうでもありません。理性を投げ打って、自分の人生を捨ててまで、そう簡単に、人間ダメになれるものじゃあないのです。
 自分がダメになりきれない、どうしても何処かでこざかしい計算が働いて、保守を図る。
なんとも女々しいシナチク野郎ではありませんか。
 私、そんな思いがありますから、ダメ人間に惹かれるのだと思います。
ダメ人間に、ある種の人の高みを見てしまうのだと思います。
 


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