2007年05月18日

ダブルのスーツ 前編

 私、旅行と言えばもっぱら貧乏旅行であります。
その一方で、昔から、豪華客船に乗ってみたいなぁ、なんて夢も秘かに抱いております。
ディカプリオのように黒のタキシードをバシッと決めて、美味しいお酒、楽しいショウ、人参くらいの太さのある葉巻をブカブカと燻らせまして、そうですねぇ、半年くらいはそんな暮らしがしてみたいものです。
 ですから、乗り物酔い、こと船に関しましては散々苦い思い出がありながら、そこに航路がある限り、どうしても船に乗らずにはいられない、そんな登山家のような厄介な嗜好が、私にはあります。

 先年、韓国に出掛けました折にも、わざわざ広島まで足を延ばしまして、船中一泊、霧雨に煙る釜山の港に着岸の汽笛の音を聞きました。
 初日は内海を走りますから、たいして揺れることはありません。しかし、2日目、海峡を渡る際には、その小さな、錆だらけのポンコツ船は、(なんでも、日本の国内航路で使われていた船の払い下げだそうです。私の乗った前年には、いったん廃航に追い込まれたという赤字船です)これでもかと言わんばかりに、大いに揺れました。
 案の定、ひどい船酔いに悩まされまして、これがどんどん調子に乗ってあまりにも際限ないものですから、とうとう私は船員に、医者を呼んでくれ、と頼みました。
そうしましたら、このポンコツ船、医者なんか乗っていないんですね。
船には船医というものが必ず乗っているような気がしておりましたが、一体何処で刷り込まれたのでしょう、これは全くの妄想であることを知りました。

 「これをお飲みなさい」
と、目の前に突き出されたおかしな赤い物体は、ぼやけた視界、ちょうど切り取られたへその緒のように見えました。
これは一体なんなのだ、と尋ねますと、
「韓国では、赤ん坊が危ない時によく飲みます」
と、妙なイントネーションの日本語が返ってきます。
この船、韓国籍の船でして、乗員も皆、韓国人なんですね。
 赤ん坊?危ない時?
 その時の私は、顔面蒼白、戻しても戻しても尚、一向吐き気が治まらない、その内に四肢までが、ビクリ、ビクリ、と痙攣し始めまして、確かに危ない状況であったのかも知れません。
しかし、腐っても鯛、どんなに打ち負かされたって、自分が赤ん坊でないことくらいは分かります。
ですから、大人のプライドで、頑としてこの薬、飲む訳にはいかぬ、と撥ねつけてやりました。
なんて、ただ気味が悪くて飲めなかっただけなんですけどね。

 そうして、ほうほうの体で辿り着きました釜山では、相変わらず汚い安宿に身を落ち着けまして、毎日ズルズルと冷麺をすする日々、しかしこの旅行、普通にソウルに飛行機で飛んで、パックになった三ツ星あたりのホテルに泊まって、などというよりは、よっぽど高くついたんですよ。
 つまり、高い金を払って貧しい思いをする。
私の旅、すでにこのおかしな領域にまで達してきているのです。


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