2007年05月10日
倒錯の Needy World
バックパックを背負って旅する者が、必ずしもバックパッカーであるとは限りません。
それは、男子便所を使う者が、必ずしもジェントルマンではないのと同じ道理です。
バックパッカー。日本語ではよく、貧乏旅行者なんて言葉が使われますね。
その貧乏な世界は、いささか特殊な世界でありまして、そこには独自の、不思議な価値観が存在します。
今日は、その辺りの話をしてみたいと思います。
15の頃からひとり旅を始めまして、はたちの時、初めてその目が海外に向きました。
図らずも成人の日、私は横浜の港から、上海行きの船に乗り込みました。
あまりの緊張から、大部屋の相客にはろくな挨拶も出来ず、ひとり早々と毛布にくるまりまして、ボーウ、ボーウと、出港の汽笛の音、夢に聞いたかうつつに聞いたか、今となっては思い出すことも出来ません。
一年ばかりの旅を終え、帰国して後、
「どうしてお前は甲板に姿を現さないのだ。あれから皆で、最後まで待っていたのに」
と、見送ってくれた人々に、散々言われたことを覚えております。
はたちの頃のことですから、出会う旅行者は皆、年上の人ばかりでした。おまけに、何もかもが初めてのことばかりです。私はもう、スポンジのような吸収力で、あっと言う間に彼らに感化されてしまいました。
この、彼らというのが、何はさておき生粋の、「バックパッカー」だったのです。
その汚い身なりは、穴の開いた服なんて当たり前です。よく分からぬボロのような襟巻きをして、何しろ貧乏が売りですから、汚ければ汚いほどよい訳です。
年季の入ったバックパックに収まる荷物は、勿論必要最小限。髪はボウボウ、髭はモジャモジャ、これでヨーロッパからアジアを渡り歩いて早2年、なんて聞かされましたら、それはもう、イチコロです。
カッコイイなぁ、と素直に思いました。
しかし、この状態がカッコイイとなりますと、反対に、綺麗な身なり、まあ、日本の街中を歩くような普通の身なりで十分です、これがひどくカッコワルイ理屈となってまいります。
物をたくさん持っている。これも非常にカッコワルイ。
この原理は、すべてに応用されまして、例えば、ある町からある町へと移動するといたします。
その手段に、飛行機などを思いつこうものなら、これは末代までの恥。列車で行くにしましても、寝台や2等を使うようでは、まだまだ鼻を垂らしたひよっ子です。やはりこの世界、硬い木の椅子の、3等シートでなくっちゃあいけません。私もこれにならいまして、40時間や50時間の拷問のようなつらい移動を、幾度か経験しております。
それから、病気をした、なんていうのも、たいそうな殊勲となります。
俺は肝炎をやった、とか、私は腸チフスにかかった、とか、その手の話は大変な敬意をもって迎えられます。
ちなみに私は、赤痢とマラリアをやっております。
要は、倒錯した世界なんですね。つらい、しんどい、に大変な価値が生まれる世界です。
今の時代の先進国に生まれたならば、これはすなわち、非日常の世界です。旅に非日常を求めるのは自然な欲求ですから、まあ、多少行き過ぎているような気もいたしますが、これはこれで良いのだと思います。
私はすぐに疲れちゃいましたけど。
しかし、こうした世界にいる人々に、往々見られる悪い傾向があります。
それは、アンチ。
好きで始めた貧乏が、いつの間にか、アンチ金持ち、アンチ文明、にすり替わっちゃう、なんてケースがよくあります。ツアーなんかは旅とは呼べない、なんてことを平気で言う人、結構いるんですよ。
そこでひと言。この懐かしき倒錯した世界の住人へ。
六本木ヒルズでシャンパンを傾けて、インドの食堂で蝿を払いながら飯を食う。
人間、これくらいの幅がなければ損ですよ。
なんて、実は私が、かくありたいと思うのでした。
それは、男子便所を使う者が、必ずしもジェントルマンではないのと同じ道理です。
バックパッカー。日本語ではよく、貧乏旅行者なんて言葉が使われますね。
その貧乏な世界は、いささか特殊な世界でありまして、そこには独自の、不思議な価値観が存在します。
今日は、その辺りの話をしてみたいと思います。
15の頃からひとり旅を始めまして、はたちの時、初めてその目が海外に向きました。
図らずも成人の日、私は横浜の港から、上海行きの船に乗り込みました。
あまりの緊張から、大部屋の相客にはろくな挨拶も出来ず、ひとり早々と毛布にくるまりまして、ボーウ、ボーウと、出港の汽笛の音、夢に聞いたかうつつに聞いたか、今となっては思い出すことも出来ません。
一年ばかりの旅を終え、帰国して後、
「どうしてお前は甲板に姿を現さないのだ。あれから皆で、最後まで待っていたのに」
と、見送ってくれた人々に、散々言われたことを覚えております。
はたちの頃のことですから、出会う旅行者は皆、年上の人ばかりでした。おまけに、何もかもが初めてのことばかりです。私はもう、スポンジのような吸収力で、あっと言う間に彼らに感化されてしまいました。
この、彼らというのが、何はさておき生粋の、「バックパッカー」だったのです。
その汚い身なりは、穴の開いた服なんて当たり前です。よく分からぬボロのような襟巻きをして、何しろ貧乏が売りですから、汚ければ汚いほどよい訳です。
年季の入ったバックパックに収まる荷物は、勿論必要最小限。髪はボウボウ、髭はモジャモジャ、これでヨーロッパからアジアを渡り歩いて早2年、なんて聞かされましたら、それはもう、イチコロです。
カッコイイなぁ、と素直に思いました。
しかし、この状態がカッコイイとなりますと、反対に、綺麗な身なり、まあ、日本の街中を歩くような普通の身なりで十分です、これがひどくカッコワルイ理屈となってまいります。
物をたくさん持っている。これも非常にカッコワルイ。
この原理は、すべてに応用されまして、例えば、ある町からある町へと移動するといたします。
その手段に、飛行機などを思いつこうものなら、これは末代までの恥。列車で行くにしましても、寝台や2等を使うようでは、まだまだ鼻を垂らしたひよっ子です。やはりこの世界、硬い木の椅子の、3等シートでなくっちゃあいけません。私もこれにならいまして、40時間や50時間の拷問のようなつらい移動を、幾度か経験しております。
それから、病気をした、なんていうのも、たいそうな殊勲となります。
俺は肝炎をやった、とか、私は腸チフスにかかった、とか、その手の話は大変な敬意をもって迎えられます。
ちなみに私は、赤痢とマラリアをやっております。
要は、倒錯した世界なんですね。つらい、しんどい、に大変な価値が生まれる世界です。
今の時代の先進国に生まれたならば、これはすなわち、非日常の世界です。旅に非日常を求めるのは自然な欲求ですから、まあ、多少行き過ぎているような気もいたしますが、これはこれで良いのだと思います。
私はすぐに疲れちゃいましたけど。
しかし、こうした世界にいる人々に、往々見られる悪い傾向があります。
それは、アンチ。
好きで始めた貧乏が、いつの間にか、アンチ金持ち、アンチ文明、にすり替わっちゃう、なんてケースがよくあります。ツアーなんかは旅とは呼べない、なんてことを平気で言う人、結構いるんですよ。
そこでひと言。この懐かしき倒錯した世界の住人へ。
六本木ヒルズでシャンパンを傾けて、インドの食堂で蝿を払いながら飯を食う。
人間、これくらいの幅がなければ損ですよ。
なんて、実は私が、かくありたいと思うのでした。
Posted by wajin at 09:57│Comments(0)│TrackBack(0)
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