2008年10月29日

風呂の時間

 週末から、熱海に行っておりました。
朝晩冷え込み始めたこの季節、久し振りに温泉に浸かったらさぞかし気持ちがよいだろう、と考えまして、これが案の定、大変気持ちよかったです。

 部屋数の少ない宿であったせいか、風呂はいつでも独り占め、他の客と顔を合わせることは一度もありませんでした。
 広い湯船に独りで浸かると、私、決まってやることがあります。
それは、仰向けになって、大の字に、プカプカと浮かぶのです。
 以前は、潜って息を止めることが得意でしたが、いつの間にか、浮かぶことのほうが好きになりました。やはりそれだけ、年を重ねたということなのか、知りません。

 私、家ではもっぱら朝風呂です。
家の風呂は、半分外のようなものですから、しんと底冷えするこれからの季節は特に、夜に入ろうなどとはまず考えません。
 朝風呂と言いましても、もう昼にも近い時刻、山陰からようやく差し込んだ日の光を浴びながら、湯船に浸かって、必ずラジオに耳を傾けます。
 風呂以外の場所でラジオを聴くなんてことは滅多にありませんが、なんとなく、あの雑音交じりのラジオの声が、朝風呂を、一層味わい深いものにしてくれるような気がするのです。

 ところが、家はもとよりこのお風呂、ちょうど裏山が被さるような場所にありまして、ラジオがほとんど入りません。微調整を繰り返し、あっちに向けたりこっちに向けたり、それでも、FMなんざぁ遠い夢、
AMの、2つのチャンネルがようやく拾えるばかりです。
 で、この2つの内の、比較的雑音が少ない方、これが私のお気に入りの局なのです。

 これ、何という局かは知りませんが、恐らくは、NHKではないかと思います。
やっている番組といえば、ラジオ体操であったり、歴史の解説であったり、モンゴル語講座であったり、聴いていてひとつも面白くありません。しかし、それでもこれを愛する所以は、結局は、のんびりと風呂でラジオを聴いている、そんな時間が好きなだけなのだと思います。

 ある日は、天気予報が流れておりました。
普通の天気予報ではなくて、きっと船舶や航空関係、そんな人達向けのもののようでした。
 ドコソコ、風力何々、何ヘクトパスカル、晴れ、何度。
中年の男の声が淡々と、いつ始まって、いつ終わるのか分からぬような調子で延々続きます。
日本の主な都市を巡って、その内に、
 マニラ、風力何々、何ヘクトパスカル、曇り、何度。
 ウラジオストック、風力何々、何ヘクトパスカル、晴れ、何度。

 私、これを聞いていて、俄然、楽しくなりました。
テレビで眺める世界の天気予報、あれと大差はないのですが、ジージーと交じる雑音、その向こうから、時折微かに聞こえる外国語の放送、そして何よりこのおじさんの、何の装飾もない語り口、狭い湯船の中で一変、自分が外国を旅しているような気分となりました。

 こうなったら最後まで聞いてやろうじゃあないか。
そんな気持ちになりまして、少々のぼせ気味の頭で世界中を旅して回り、しかしお終いは、なんと、
富士山頂の天候でした。
 
 思いもよらず、ぱっ、と浮んだ富士の青。
それはなんとも、朝風呂によく似合う、清々しい光景でありました。

 


 
 




 


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