2008年10月06日

フリーマーケット

 久しぶりに、フリーマーケットに出店しようと思います。
 
 私、フリーマーケットはまんざらの素人でもなく、その昔、2年間ほどこれを生業としておりました。
土日祝日、当時付き合っていた彼女とふた手に別れまして、1日2箇所、月に15箇所くらいは出店していたと思います。
 ナントカ殺すにゃ刃物は要らぬ、まさにこれを地で行く世界でして、梅雨時やちょうど今頃の秋雨の季節、恨めしく見上げた東京の灰色の空を思い出します。

 フリーマーケットを始めたのは、旅の仲間に誘われたのがきっかけでして、当時、旅行とアルバイトの繰り返しに倦怠を覚え始めていた私は、彼の話に一も二もなく飛びつきました。
 この彼は、アジアの国で買い付けた、旧日本軍の時計なぞを売っておりまして、旅をして、その
おつりのようなものが金になる、これがひどく魅力的に感じられました。

 ところが、やると思うは別物でして、その後私も、タイやインドへと買い付けの旅に出掛けましたが、これがちっとも楽しくありませんでした。時間に追われ、手続きに追われ、そうして何よりも、金勘定に追われ、しかしお陰で、本当に好きなものには、憧れを残しておかねばならぬことを知りました。

 その後、旅仲間の彼は、古着を扱ったり靴を扱ったり、二転三転した挙句、子供服に辿り着きまして、その内に、店まで構えるようになりました。オリジナルの商品を、タイやインドネシアの工場で作らせて、車も大きなものに買い替えて、アルバイトを雇ったり、まさにこれからといった時期でした。
 この頃にはもう、私もフリーマーケットを卒業して、デパートの催事なんかでTシャツを売るようになっておりましたから、段々と、彼と会う機会も少なくなっていきました。

 ある時、久しぶりに彼から電話がありまして、タイの工場から来た品物がひどい状態で困っている、バイト代を払うから検品を手伝ってくれないか、と頼まれました。
 私、あいにく都合が悪く、これを一旦は断ったのですが、余程事情が急いているのか、彼の執拗な物言いに負けまして、電車で1時間、川崎にある彼の店へと向かいました。

 そうして1日延々と、山積みにされたTシャツのほつれやシミを見つける作業に没頭し、ようやくこれを終えてから、同じように手伝いを頼まれた数人と、一緒になって焼肉をご馳走になりました。
それから駅まで送ってもらい、
 「これからも頼むね」
そう笑顔で言われたのが、最後でした。

 その数日後、彼は突然、亡くなってしまいました。
 蜘蛛膜下出血でした。
 お母さんが言うことには、昨夜遅く、人参などを細かく刻んで、鍋でインスタントラーメンを作る彼に、早く寝なさいよ、と声を掛けたのが最後だったそうです。
 本当に、眠るように逝ったとのことでした。
 私が20代の頃の話ですから、彼はまだ、30前後であったと思います。

 ここ数日、フリーマーケットに出す不用品を整理しながら、当時のことをあれやこれやと思い出します。色々な人々や、様々な出来事が、頭の中を掠めて過ぎる中、彼は、私にとって大きな転換をもたらした人であったような気がいたします。






 
 


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