2008年03月05日

コミュニケーション

 先日、あるスーパーで、妻が化粧室に行きまして、ドアをノックしましたら、中から、
 「誰?」
と、返事が返ってきたそうです。
 別に、誰がドアを叩いたのか、気にして悪いことはありませんけど、まさかの応答ですよね。
妻はなんだか怖くなって、勿論、名前は名乗らずに、その場を後にしたそうです。

 妻のお母さんは、ちょっと天然気味の人でして、おまけに少し耳が悪いので、この手のちぐはぐな
やり取りが絶えません。
 お義母さんは、猫を2匹飼っていて、置物やら何やらと、とにかく猫関係のものが大好きです。
 ある時、私が、
 「お義母さん、いつからそんなに猫が好きなんですか?」と、尋ねましたら、
 「ん?月曜日から」
 私、これには笑いました。なんでも、仕事がいつからなのか、尋ねられたと勘違いしたそうです。

 またある時、お義母さんが、小さい頃に兄弟を亡くしたという話をしまして、私が、
 「病気ですか?」と、尋ねましたら、
 「ううん、ショウジ」と、答えます。
ははあ、恐らくは、ショウジという名の兄弟だったのだな、と分かりましたから、もう一度、大きな声で、
 「病気ですか?」
 「ううん、ショウジ」
 私、もういいや、と思いました。

 私の知り合いが、電車に乗っていて目撃したという話。
彼の目の前に座る親子、これがどうやら地方からやって来た親子であるらしく、親父の方が、
ズーズー弁で、仕切りに息子に話し掛けていたそうです。
 息子のほうは、まだ10代かと思われる若い子で、どうもこの親父のズーズー弁が恥ずかしい様子で、ひどく不愛想に、ボソボソと受け答えしていたそうです。
 まあ、知り合いから見ましても、親父は人目を憚らず、大声で、だべだべを連発して、
思春期の年頃の、この息子の気持ちも分からないではなかった、と言います。
 その内、いよいよ息子の堪忍袋の緒が切れまして、彼はひと言、親父にこう言い放ったそうです。
 「親父っ、だべだべ言うなって、言ったっぺよっ!」

 最近、うちの赤ん坊が、泣き声とは違う声を発するようになりました。
ウーウー、アーアーと、言葉とは呼べぬようなものですが、私も暇なものですから、
ウーウー、アーアーと受け答えして日が暮れます。
 こちらがウーと言うと、赤ん坊もウーと答え、アーと言えば、やっぱりウーと答えます。
ああ、こうしてコミュニケーションというものを覚えていくのだな、と、まるで進化の過程を見るようです。
 これ、会話ではありませんけど、間違いなく、既に繋がりというものが発生しております。

 コミュニケーションというものは、お互いの意思が通じ合うことではなくて、
まずは繋がることなのだな、と、最近改めて思います。

 


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この記事へのコメント
わじんさん
こんばんは
まったくその通りだと思います。
コミュニケーションって言葉やメールや携帯通話だと
勘違いしてるご時世ですが
赤ちゃんやお年寄りは言葉じゃないですよね。
そして ぼくたちも。
最近特に言葉というものが
相手を遠ざける為とか、攻撃する為に使われていることが
多いように思われてなりません。
言葉は感情や思いを伝えるためのキャリアだと思います。
ですから愛情のない言葉は単なる記号になってしまいます。

手を握るとか、頬をすり寄せるとか抱きしめるとか。キスをするとかの方が
大切なことなんだと 思います。
自分の全てを注ぎ込み、そのまま全てを受け入れる。
そんな風にできれば と 思います。
そのためには 纏っている余計な着物を
1枚でも2枚でも脱がねばなりません。

よいお話をありがとうございます。
Posted by はま at 2008年03月06日 21:52
はまさん、こんにちは。
本当に、そうですね。

コミュニケーションに限らず、物事の本質は、シンプルなのだと思います。
その分、飽きがきやすく、次々に新しい取っ掛かりを考えて、
これ、結局は、人の欲なんでしょうね。

こういう欲を、別に悪いとは思いませんが、
はまさんの言う通り、これが却って、
本質を脅かす事態にもなっていますよね。

メールにせよ携帯電話にせよ、順序を追って開発されてきたものですから、
使う者も、やはり順序を踏まえて使わないと、という気がいたします。
Posted by wajin at 2008年03月07日 18:06