2008年03月03日

すごろく

 昔、東京に住んでおりました時、鎌倉に引っ越そうと考えました。
たまたまその頃、鎌倉でギャラリーを借りたりなどしてまして、海も山も、それから歴史もあるよい町
だなぁ、と思ったのが始まりです。
 不動産屋を片っ端から回りまして、20件近い物件を見たと思います。
いちいち案内されるのは面倒ですから、地図と間取り図をコピーしてもらいまして、
あとはバスやら足を使って、まあ、普段では立ち入らぬ住宅街ですから、結構楽しい散策でした。

 その内の1件、ある古い戸建てを、通りから背伸びをして見ておりました時、
これ、鍵を渡されている訳ではありませんから、大概の物件は、このように外見しか見ておりません。
しかし、家を借りる時って、私の場合は、まずは外見、つまり周辺の環境が大きく左右しますから、
いちいち中を見る必要もないのです。
 で、この時、ある夫婦に話し掛けられました。
40代くらいの若い夫婦で、私が手にした間取り図を覗き込み、
 「ふうん、この家はこんな間取りなんだ」なんて、声を掛けられたのがきっかけでした。
話を聞くと、2年くらい前に、近所に家を買って、秋田から移り住んできたというふたりでした。
よかったら、うちによってお茶でも飲んでいきなさい、と言うので、言われるままにノコノコと、
くっついて行ってお茶をご馳走になりました。
 「鎌倉にどうしても住みたかったのよ」
と、奥さんが言うだけあって、緑豊かな山を背に、こだわりを感じさせる素敵な佇まいのお家でした。

 ところがこの夫婦、話をしているうちにだんだんと、鎌倉の悪口ばかりを言うようになりました。
 「こんな閉鎖的な町はない」とか、
 「歴史がある分、お高くとまった連中が多い」とか。
 「この間などは、ゴミ袋まで覗かれた」などなど・・。
 なんだか怪しい雰囲気になってきまして、私、出されたお茶をクンクンと、嗅いでばかりおりました。
というのも、この家の主人が、中国茶の専門家か何かで、茶は嗅ぐものだと教えられましたから、
私、よく分からぬなりにも、失礼になってはいけないと、ひたすらクンクンやりました。

 そうして鎌倉の悪口を言い終えますと、今度は夫婦揃って、
 「葉山はいいよぉ」と言うのです。
葉山とは、鎌倉のひと山越えた隣町でして、マリーナなんかがある、割りと小洒落たエリアです。
 「鎌倉なんかはやめて、葉山になさいよ」
結局、ふたりの話はそんなところで落ち着いて、私は、引っ越しをしたらご連絡いたします、と礼を述べて辞しました。ちなみに、それ以来、この夫婦には一度も連絡をしておりません。

 別に、この夫婦のアドバイスを聞いた訳でもないのですが、私、その後、葉山に6年ばかり住みました。たまたま鎌倉の不動産屋が持っていた物件に、葉山の家がありまして、何となく見に行きましたら、これが良かったのです。
お陰で、離れた今でも、葉山は好きな町であります。

 で、この時、私、こう思ったのです。
ははあ、これはすごろくのようなものだな。
「鎌倉で家を探す」
ひとつ進んで、「秋田の夫婦に会う」
次に進んで、「茶の匂いをクンクン嗅ぐ」
「葉山を薦められる」
「葉山」と。

 まあ、当たり前のことなのですけど、今が先に繋がっている訳でして、だから今をどう過ごすのか、
それが大事なのだ、なんてことは、私、別に思いません。
そういうのは却って、罠というもののように思われます。
そうではなくて、今がどんな先に繋がるか、
これをただ、楽しみに生きていけば良いのではないでしょうか。
 


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