2008年02月05日

穴に思う

 うちの裏山に、大きな穴があります。
この穴、私が掘ったわけではありませんが、大いに活用しております。
どう活用しているのかと申しますと、いらないものは何でもかんでも、みんなこの穴に埋めてしまうのです。

 とは言いましても、基本的に土に還らないものは埋めませんから、その主は、いらない食べ物ですね。それから、刈った草や燃やした灰、そういったものです。

 私、裏庭で畑をやっておりますが、今の季節ですと、大根、白菜、キャベツ、ブロッコリー、ほうれん草等々、他にも結構色々と植えております。
 ところが、折角大きく育ったこれらの野菜を、私、ほとんど食べません。
元来、野菜が左程好きではない、という理由もあるのですが、それよりも、こういう旬の野菜は、
食べ切れないほど近所から頂くのです。
 平たく言いますと、自分の野菜の出番なんかないのです。

 ああ、やっと白菜が減ってきた、と思うと、また2玉、嫌がらせのように玄関先に置いてあります。
本当に、愕然とします。
私、白菜は常時、5玉くらい持っております。
大根だって負けてません。
丸大根に長大根、いつでも7,8本は持っています。
泥棒に入られたら、大根でひっぱたいてやろうと思います。
 そんなにあるのなら、漬物にでもすればいい。
しかし、漬物は漬物で、ちゃんと別個にやって来るのです。
白菜の塩漬けや沢庵は、実際、もう見るのも嫌なくらいです。

 ですから、どうしても、無駄にしてしまうんですね。
いくら善意といったって、馬じゃあないんですから、大根ばかり齧ってはいられません。
そこで、こういう野菜を、えいっえいっ、と、穴に捨ててしまうのです。

 それから、頂いたおかず。これも結構、無駄にしてしまいます。
味が付いていますと、どうしても好き嫌いがありますし、日持ちがしません。
ですからやっぱり、コノヤロコノヤロ、と、穴に捨ててしまうのです。
 ところが、そのおかずをくれたおばちゃんに会って、「どうだった?」なんて聞かれますと、
まさか穴に捨てたとは言えませんから、美味しく頂いたよ、と答えます。
 こういう嘘は、人としての礼儀ですから、仕方がありません。
しかし、この礼儀がまた同じおかずを呼び寄せて、コナクソコナクソ、となる訳です。

 こういう物をくれる側の人々を観察しておりますと、実は当人達も、作り過ぎてその処理に困っているようなのです。
 この辺りは、年寄りのひとり暮らしか、夫婦ふたりきり、という家がほとんどでして、
畑はみんな、あくまでも自分たちが食べる分としてやっております。
それなのに、ひと冬で白菜を50玉も60玉も作ったりして、大根だってなんだって、
とにかくどうしてそんなに作るの?というほど作ります。
 これ、結局は、畑仕事が完全に生活の一部になっておりますから、また、土地がないわけでもありませんから、きっと家庭菜園のような小さな規模では、やり甲斐がないのでしょうね。

 で、私、日本の田舎のこういう風景は、何処も同じようではないか、と思うのです。
何処でもこういう人たちが、沢山の野菜を作って、持て余している。
ひどい奴になると、穴に埋めたりしている。
 ちなみにこの野菜、いわゆる無農薬で、この辺りではみんなそれが当たり前です。
結局、商売ではありませんから、見栄えは関係ないんですね。

 一方で、問題となっている中国の毒菜なんかを、わざわざお金を払って買っている人たちもいる。
やれ商売だ、やれ大量流通だで、おかしなものが出回って、そのくせ日本の食料自給率は40%にも満たないといいます。

 なんとかこのふたつの世界を、うまい具合にパイプでつなぐことは出来ないものでしょうか。
何かよい仕組みがあればいいのになぁ、と思います。


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