2008年08月18日
紀伊半島後記 後編
伊勢うどんを思いっきり食べてみたい、そう言って出掛けまして、私、これを一度も口にしませんでした。チャンスはいくらでもあったのですが、はるばる伊勢までやって来て、どうしてうどんなんかを食べなくてはならぬのか、と、結局、天婦羅や鰻なんぞをモリモリ食べて帰って来ました。
あることを思い立ち、これを夢見て楽しむことは、ひとつの立派な娯楽であります。
これはもう、それを実現して味わう思いとは、別物なのであります。
伊勢神宮に熊野大社、それから高野山。
私、この旅は、これらの神仏に呼ばれたものとまじめに考えておりましたが、やはりこれも、夢の類であったことを知りました。
投げ銭をチャリンとやって、パンパン、行くか。
実に、何の感慨も湧きません。
実際に神社にいた時間は数分ばかりで、さすがに自分でも、何なのだこの淡白さは、と思いました。
これはきっと、現実と頭の中のギャップによるものに違いありません。
それでも、実体がないことには夢も見ようがありませんから、たとえ観光客がワンサカいようが、土産物屋がガチャガチャと軒を連ねていようが、そこにお伊勢さまがある、それが大事なことなのだと思います。
ですから巡礼は、旅立つ前に終えたものと考えました。
で、後は何をしていたかと申しますと、和歌山マリーナという施設にあるホテルに宿を取り、1日中ボサノバの流れるプールサイドでビールを飲んだり昼寝をしたり、別に和歌山じゃあなくてもよいのでは、という数日でしたが、しかし結局、ここが1番楽しかったように思います。
あれもこれもと欲張らず、次回はひとつの場所に長居して、ゆっくり過ごしたいものだなあと思いました。
ところが最近、改めて、お伊勢さまのことを考えます。
私、何も知らずに出掛けたものですから、てっきり平安神宮のような、朱塗りの立派な社殿を想像いたしておりましたが、そうではないんですね。
広い砂利敷きの境内を、暑い中、延々と歩かされまして、ようやくたどり着いた社殿は、茅葺の、
小屋のような佇まいでした。
拍子が抜けるとはこのことでして、私、ここでいいのかな、なんて辺りを見回したほどでした。
それでも、次から次へとひっきりなしにやって来る参拝客、なんだか不思議な光景でした。
しかしこの簡素さが、後からジワジワと、深い味わいとなりました。
あの小さな社殿を目指して、実に多くの人々が、日々全国から集まって来ます。
これはやはり大変なパワーでして、その大変なパワーを持つものが、大変素朴な佇まいである、
このことが却って、凄みといったものを感じさせるようでした。
今思えば、大勢の人間がワイワイと行き交う中、それでも境内は、しんと静寂に包まれていたような気がいたします。
伊勢神宮、噂に違わぬ聖地でした。
もっともこれは、私が再び夢の中に戻っただけのことでして、もう一度訪れれば、やっぱりパンパン、行くか。と、なるのでしょうね。
あることを思い立ち、これを夢見て楽しむことは、ひとつの立派な娯楽であります。
これはもう、それを実現して味わう思いとは、別物なのであります。
伊勢神宮に熊野大社、それから高野山。
私、この旅は、これらの神仏に呼ばれたものとまじめに考えておりましたが、やはりこれも、夢の類であったことを知りました。
投げ銭をチャリンとやって、パンパン、行くか。
実に、何の感慨も湧きません。
実際に神社にいた時間は数分ばかりで、さすがに自分でも、何なのだこの淡白さは、と思いました。
これはきっと、現実と頭の中のギャップによるものに違いありません。
それでも、実体がないことには夢も見ようがありませんから、たとえ観光客がワンサカいようが、土産物屋がガチャガチャと軒を連ねていようが、そこにお伊勢さまがある、それが大事なことなのだと思います。
ですから巡礼は、旅立つ前に終えたものと考えました。
で、後は何をしていたかと申しますと、和歌山マリーナという施設にあるホテルに宿を取り、1日中ボサノバの流れるプールサイドでビールを飲んだり昼寝をしたり、別に和歌山じゃあなくてもよいのでは、という数日でしたが、しかし結局、ここが1番楽しかったように思います。
あれもこれもと欲張らず、次回はひとつの場所に長居して、ゆっくり過ごしたいものだなあと思いました。
ところが最近、改めて、お伊勢さまのことを考えます。
私、何も知らずに出掛けたものですから、てっきり平安神宮のような、朱塗りの立派な社殿を想像いたしておりましたが、そうではないんですね。
広い砂利敷きの境内を、暑い中、延々と歩かされまして、ようやくたどり着いた社殿は、茅葺の、
小屋のような佇まいでした。
拍子が抜けるとはこのことでして、私、ここでいいのかな、なんて辺りを見回したほどでした。
それでも、次から次へとひっきりなしにやって来る参拝客、なんだか不思議な光景でした。
しかしこの簡素さが、後からジワジワと、深い味わいとなりました。
あの小さな社殿を目指して、実に多くの人々が、日々全国から集まって来ます。
これはやはり大変なパワーでして、その大変なパワーを持つものが、大変素朴な佇まいである、
このことが却って、凄みといったものを感じさせるようでした。
今思えば、大勢の人間がワイワイと行き交う中、それでも境内は、しんと静寂に包まれていたような気がいたします。
伊勢神宮、噂に違わぬ聖地でした。
もっともこれは、私が再び夢の中に戻っただけのことでして、もう一度訪れれば、やっぱりパンパン、行くか。と、なるのでしょうね。
