2008年06月30日
紀伊半島
伊勢うどんって、ご存知でしょうか。
ふっくらとしたモチモチの極太うどんに、独特の黒い濃厚なタレ。
葱を刻んで卵を落として、それだけでも十分クセになる美味しさです。
これを本場で存分に味わいたい、そう思っておりましたら、なんとなく、日々の生活にシグナルが
現れ始めました。
何の気なしに雑誌をめくっておりますと、「特集・紀伊半島」。
おお、と思って眉根を寄せると、途端電話が鳴りまして、これが先日、ある人にウナギの寿司を送ったお礼の電話でした。
「三重に行かれていたのですか?」
カタログで、産地も知らずに頼んだ物が、なんと三重のものでした。
更にこの時、自宅用に一緒に頼んだみかんジュースが、よく見れば、和歌山のものでありました。
むむむ、もしかして。
と、新たに強く意識して、テレビをつければドンぴしゃり、お伊勢参りの旅番組。
これはもう、どうしても呼ばれている。行くしかない、となりました。
こういうシグナルというものは、まあ、こじつけのようなものですから、意味を成さない場合には、
まるで意味を成しません。
しかし、世の中は広大無辺のようでいて、そのそれぞれが、複雑に絡み合って成り立ちますから、
思いも寄らぬ遠い世界の末端が、実は自分の身近に転がっていた、なんてことも決して珍しいことではありません。
要は、そういうものをいちいち拾って、意味を与える、そんな気分であるかないかの問題でして、
私まさに、最近そんな気分なのであります。
で、実はあんまり知らなかった紀伊半島、数年前に一度訪ねたことはあるものの、この時は友人の家を訪ねたばかりで、何を見て何を食べたということもありません。
唯一連れて行ってもらった名所といえば、那智の瀧くらいなものでして、あとはこの友人の綿密な
プランのもと、5月の寒空の下、パンツ一丁で泳がされたり、焼酎の空ボトルに何本も持ち帰った海水を、ぐつぐつと丸一日火にかけて、大量の塩を作らされたりした数日間でした。
そこで、改めて調べてみますと、紀伊半島、なんだかとても良さそうです。
伊勢神宮は勿論のこと、高野山、熊野古道、ちょっと私の好きそうな、土地の持つパワーといったものを感じます。加えて美味しい食べ物も多い様子で、写真をペラペラと眺めるうちに、私、伊勢うどんのことなんか、すっかり頭からなくなってしまいました。
よし、行くぞ。
来月辺り、1週間ばかり行ってこようと思います。
赤ん坊が出来てから、旅行らしい旅行をしておりませんでしたが、とりあえず、先日箱根に行きまして、大丈夫そうだなぁ、なんて成果を得ましたので、そうなれば、夢は膨らむ一方です。
年内には、九州まで足を伸ばすぞ。
これ、出来れば車で行きたいなぁと思います。車の方が、なんとなく、楽しそうではないですか。
九州まで、えっちらおっちら、4日くらいかけまして、すると行き帰りで8日間、となれば、3週間くらいは欲しいですね。
日本の場合は高くつきますから、テントや車、民宿なんかを大いに利用して、最近は、海外に出ても昔と違って金に余裕がありますから、久し振りの貧乏旅行、いいんじゃないかなぁ。
モチモチうどんが信仰の地に繋がって、やがてそれが、自分の原点を思い起こさせる。
何事も、それらしく言えば、それらしく聞こえるものです。
ふっくらとしたモチモチの極太うどんに、独特の黒い濃厚なタレ。
葱を刻んで卵を落として、それだけでも十分クセになる美味しさです。
これを本場で存分に味わいたい、そう思っておりましたら、なんとなく、日々の生活にシグナルが
現れ始めました。
何の気なしに雑誌をめくっておりますと、「特集・紀伊半島」。
おお、と思って眉根を寄せると、途端電話が鳴りまして、これが先日、ある人にウナギの寿司を送ったお礼の電話でした。
「三重に行かれていたのですか?」
カタログで、産地も知らずに頼んだ物が、なんと三重のものでした。
更にこの時、自宅用に一緒に頼んだみかんジュースが、よく見れば、和歌山のものでありました。
むむむ、もしかして。
と、新たに強く意識して、テレビをつければドンぴしゃり、お伊勢参りの旅番組。
これはもう、どうしても呼ばれている。行くしかない、となりました。
こういうシグナルというものは、まあ、こじつけのようなものですから、意味を成さない場合には、
まるで意味を成しません。
しかし、世の中は広大無辺のようでいて、そのそれぞれが、複雑に絡み合って成り立ちますから、
思いも寄らぬ遠い世界の末端が、実は自分の身近に転がっていた、なんてことも決して珍しいことではありません。
要は、そういうものをいちいち拾って、意味を与える、そんな気分であるかないかの問題でして、
私まさに、最近そんな気分なのであります。
で、実はあんまり知らなかった紀伊半島、数年前に一度訪ねたことはあるものの、この時は友人の家を訪ねたばかりで、何を見て何を食べたということもありません。
唯一連れて行ってもらった名所といえば、那智の瀧くらいなものでして、あとはこの友人の綿密な
プランのもと、5月の寒空の下、パンツ一丁で泳がされたり、焼酎の空ボトルに何本も持ち帰った海水を、ぐつぐつと丸一日火にかけて、大量の塩を作らされたりした数日間でした。
そこで、改めて調べてみますと、紀伊半島、なんだかとても良さそうです。
伊勢神宮は勿論のこと、高野山、熊野古道、ちょっと私の好きそうな、土地の持つパワーといったものを感じます。加えて美味しい食べ物も多い様子で、写真をペラペラと眺めるうちに、私、伊勢うどんのことなんか、すっかり頭からなくなってしまいました。
よし、行くぞ。
来月辺り、1週間ばかり行ってこようと思います。
赤ん坊が出来てから、旅行らしい旅行をしておりませんでしたが、とりあえず、先日箱根に行きまして、大丈夫そうだなぁ、なんて成果を得ましたので、そうなれば、夢は膨らむ一方です。
年内には、九州まで足を伸ばすぞ。
これ、出来れば車で行きたいなぁと思います。車の方が、なんとなく、楽しそうではないですか。
九州まで、えっちらおっちら、4日くらいかけまして、すると行き帰りで8日間、となれば、3週間くらいは欲しいですね。
日本の場合は高くつきますから、テントや車、民宿なんかを大いに利用して、最近は、海外に出ても昔と違って金に余裕がありますから、久し振りの貧乏旅行、いいんじゃないかなぁ。
モチモチうどんが信仰の地に繋がって、やがてそれが、自分の原点を思い起こさせる。
何事も、それらしく言えば、それらしく聞こえるものです。
2008年06月23日
箱根のフレンチ
折角箱根に行って、おかしなおじさんの話だけではなんですから、ちょっと違うお話。
2日目の宿は、座敷でフレンチを食べさせる、という宿でした。
私、フレンチが食べたいというよりも、何処へ行っても刺身や天婦羅、これに飽き飽きとしておりましたから、結構楽しみにしておりました。
住宅地に佇む小さな宿で、聞けば、どこぞの会社の保養所を改装したものだそうです。
夕方、近所を散歩してみますと、まるでお城のような豪邸が建ち並び、確かに会社の保養所も、
点々と目に留まります。大変、お金持ちなエリアです。
一体どれくらいの金があったら、こういう家を建てられるのだろう、と考えました。
家を建てるのに掛かる費用だけでは勿論駄目です。
それくらいの金を使っても、ビクともしない金がなければ困ります。
10億や20億。
あるところにはあるのだなぁ、と、暮れる夕空を眺めながら思いました。
で、肝心のフレンチ。
フレンチと知って予約を取り、そうして膳の前にあぐらをかいてビールを飲み、さて、と言うのもなんですが、フレンチって、どうですか。
ああやってちょこちょこと出されては、なんだか食べた気がいたしません。
それに部屋食ですから、しょっちゅう仲居さんがやって来ては、あれやこれやと料理の説明をいたします。迂闊に持ち込んだウイスキーを飲むことも出来ません。
いえ、この形式こそ、フレンチなのです。
そう言うでしょうか。
それとも、お客様に、たまにはごゆっくりとお食事を召し上がって頂きたいのです。
と言うでしょうか。
そういえば、部屋のテレビも驚くくらいに小さくて、これはテレビなんか見ないで、鳥のさえずりにでも耳を傾けなさい、そういうことなのかな、なんて思わせました。
朝食もやっぱり同じようでして、ひとつの皿を食べないと、次を出してくれません。
一体次が、どれだけあるのか分かりませんから、なんだか腹分量もうまくいかない、
食べたくないから残しているのに、先程からボーイはまだかなぁ、なんて顔をしている、
とにかく面倒臭いなぁ、なんて、思いました。
しかし、これ、私がせっかちなだけなのだと思います。
多分こういうことが好きな人は、結構いるのだと思います。
ですからこの宿、家族向けではありませんが、女性同士の旅なんかには、向いているのではないでしょうか。
で、もうひとつ。
仮にこの宿のフレンチが、例えば、有名な五つ星のレストランのシェフが作っていたら、私、感動していたでしょうか。
普段フレンチを食べ慣れない、そうして実際に食べてみても、何だかんだと文句を言っている私が、
やっぱり感動したでしょうか。
極めたもの、というのは、多くの人に受け入れられる。
興味の垣根を飛び越えて、良いものは良い。訴えるものは訴える。
そうですよね。
しかし、それは理想であって、本当は、そうではないのかも知れません。
事実、先日のフレンチだって、何処かのホテルでチーフだったというシェフが、随分と手間の掛かった料理を出し、味もまあまあ、まずくはなかったのですが、私には、残念ながらそのチーフの手間が邪魔と思えてなりませんでした。
伊勢海老は、刺身で出して欲しかった。
醤油で食えば、もっと美味しいのに。
この垣根、一流のシェフなら越せるでしょうか。
越して欲しいと思いますね。
好きな人は好き、だけでは、つまらないですものね。
2日目の宿は、座敷でフレンチを食べさせる、という宿でした。
私、フレンチが食べたいというよりも、何処へ行っても刺身や天婦羅、これに飽き飽きとしておりましたから、結構楽しみにしておりました。
住宅地に佇む小さな宿で、聞けば、どこぞの会社の保養所を改装したものだそうです。
夕方、近所を散歩してみますと、まるでお城のような豪邸が建ち並び、確かに会社の保養所も、
点々と目に留まります。大変、お金持ちなエリアです。
一体どれくらいの金があったら、こういう家を建てられるのだろう、と考えました。
家を建てるのに掛かる費用だけでは勿論駄目です。
それくらいの金を使っても、ビクともしない金がなければ困ります。
10億や20億。
あるところにはあるのだなぁ、と、暮れる夕空を眺めながら思いました。
で、肝心のフレンチ。
フレンチと知って予約を取り、そうして膳の前にあぐらをかいてビールを飲み、さて、と言うのもなんですが、フレンチって、どうですか。
ああやってちょこちょこと出されては、なんだか食べた気がいたしません。
それに部屋食ですから、しょっちゅう仲居さんがやって来ては、あれやこれやと料理の説明をいたします。迂闊に持ち込んだウイスキーを飲むことも出来ません。
いえ、この形式こそ、フレンチなのです。
そう言うでしょうか。
それとも、お客様に、たまにはごゆっくりとお食事を召し上がって頂きたいのです。
と言うでしょうか。
そういえば、部屋のテレビも驚くくらいに小さくて、これはテレビなんか見ないで、鳥のさえずりにでも耳を傾けなさい、そういうことなのかな、なんて思わせました。
朝食もやっぱり同じようでして、ひとつの皿を食べないと、次を出してくれません。
一体次が、どれだけあるのか分かりませんから、なんだか腹分量もうまくいかない、
食べたくないから残しているのに、先程からボーイはまだかなぁ、なんて顔をしている、
とにかく面倒臭いなぁ、なんて、思いました。
しかし、これ、私がせっかちなだけなのだと思います。
多分こういうことが好きな人は、結構いるのだと思います。
ですからこの宿、家族向けではありませんが、女性同士の旅なんかには、向いているのではないでしょうか。
で、もうひとつ。
仮にこの宿のフレンチが、例えば、有名な五つ星のレストランのシェフが作っていたら、私、感動していたでしょうか。
普段フレンチを食べ慣れない、そうして実際に食べてみても、何だかんだと文句を言っている私が、
やっぱり感動したでしょうか。
極めたもの、というのは、多くの人に受け入れられる。
興味の垣根を飛び越えて、良いものは良い。訴えるものは訴える。
そうですよね。
しかし、それは理想であって、本当は、そうではないのかも知れません。
事実、先日のフレンチだって、何処かのホテルでチーフだったというシェフが、随分と手間の掛かった料理を出し、味もまあまあ、まずくはなかったのですが、私には、残念ながらそのチーフの手間が邪魔と思えてなりませんでした。
伊勢海老は、刺身で出して欲しかった。
醤油で食えば、もっと美味しいのに。
この垣根、一流のシェフなら越せるでしょうか。
越して欲しいと思いますね。
好きな人は好き、だけでは、つまらないですものね。
2008年06月20日
箱根のおじさん
箱根に行っておりました。
平日とはいえ、さすがは箱根、結構な賑わいでした。
特に湯本の駅前は、古くからの箱根の入り口、歴史ある温泉街と眺められました。
あれで車が少なければもっと良いのですが、実は私も、車で行ったのでした。
やることがありませんから、うろうろと、色々なところに行きました。
元来が時間潰しですから、何処に行き何をしようと、実は頓着がありません。
それでも、ある場所であるものを見て、あるものを食べたりするということは、家にいるよりも
よほど楽しいことなのです。
赤ん坊を連れておりましたから、色々な人に声を掛けられました。
声を掛けてくる人は、当然、赤ん坊が好きな訳ですから、おしなべて好人物です。
「かわいいねぇ」と言われれば、「そうでしょう」と答えます。ひとつも悪い気分はいたしません。
「ひとさらいに気をつけて」
スーパーで出会ったおばさんは、そんなことを言いました。
何でもない会話の中にも、人の暮らしって、垣間見えるものです。
このおばさんは、少し寂しげな人と目に映りました。
静岡から箱根に入る入口に、小さな道の駅がありまして、さすがにグネグネと登って来ただけありまして、車を降りて、ヒュウと横切る冷たい風、半袖ではちょっと肌寒いようでした。
一望する芦ノ湖の見晴らしも、一面のモヤに白い煙幕を眺めるようで、小さな食堂と小さな売店に
これといった用事もありませんから、自動販売機でお茶を買い、車に戻るその途中、駐車場である
おじさんに話し掛けられました。
60代と見られる、白髪のおじさんです。
私の妻に、「赤ん坊の前でご主人の悪口を言っちゃ駄目だよ」と言います。
「私はね、女房が赤ん坊の前であんまり私の悪口を言うものだから、この間ね、とうとう白衣を着た
男が3人家に現れて、何をするのかと思ったら、いきなり拘束されて、精神病院に入れられちゃった」
「今も裁判で争っていてね。何もかも、みんな持っていかれちゃった」
パッと見て、至って普通のおじさんです。
おしゃべりが好きそうな、人の良さそうなおじさんです。
しかし、言っていることはまるでトンチンカンでして、私は、このおじさんが何を言っているのか、
終ぞ理解できませんでした。
女房が子供の前で旦那を馬鹿にする。だから子供も父親を馬鹿にするようになる。
分からない話ではありませんが、「白衣の男」、「精神病院」、「裁判」となると、ちょっと尋常ではありません。このおじさん、車で旅して暮らしていると言っておりましたが、本当でしょうか?
すべてがおじさんの妄想なのか、ひょっとしたら私が騙されているだけなのか、とにかく、とても優しそうなおじさんでした。袖触れ合うも他生の縁。どうぞ、お達者で。
平日とはいえ、さすがは箱根、結構な賑わいでした。
特に湯本の駅前は、古くからの箱根の入り口、歴史ある温泉街と眺められました。
あれで車が少なければもっと良いのですが、実は私も、車で行ったのでした。
やることがありませんから、うろうろと、色々なところに行きました。
元来が時間潰しですから、何処に行き何をしようと、実は頓着がありません。
それでも、ある場所であるものを見て、あるものを食べたりするということは、家にいるよりも
よほど楽しいことなのです。
赤ん坊を連れておりましたから、色々な人に声を掛けられました。
声を掛けてくる人は、当然、赤ん坊が好きな訳ですから、おしなべて好人物です。
「かわいいねぇ」と言われれば、「そうでしょう」と答えます。ひとつも悪い気分はいたしません。
「ひとさらいに気をつけて」
スーパーで出会ったおばさんは、そんなことを言いました。
何でもない会話の中にも、人の暮らしって、垣間見えるものです。
このおばさんは、少し寂しげな人と目に映りました。
静岡から箱根に入る入口に、小さな道の駅がありまして、さすがにグネグネと登って来ただけありまして、車を降りて、ヒュウと横切る冷たい風、半袖ではちょっと肌寒いようでした。
一望する芦ノ湖の見晴らしも、一面のモヤに白い煙幕を眺めるようで、小さな食堂と小さな売店に
これといった用事もありませんから、自動販売機でお茶を買い、車に戻るその途中、駐車場である
おじさんに話し掛けられました。
60代と見られる、白髪のおじさんです。
私の妻に、「赤ん坊の前でご主人の悪口を言っちゃ駄目だよ」と言います。
「私はね、女房が赤ん坊の前であんまり私の悪口を言うものだから、この間ね、とうとう白衣を着た
男が3人家に現れて、何をするのかと思ったら、いきなり拘束されて、精神病院に入れられちゃった」
「今も裁判で争っていてね。何もかも、みんな持っていかれちゃった」
パッと見て、至って普通のおじさんです。
おしゃべりが好きそうな、人の良さそうなおじさんです。
しかし、言っていることはまるでトンチンカンでして、私は、このおじさんが何を言っているのか、
終ぞ理解できませんでした。
女房が子供の前で旦那を馬鹿にする。だから子供も父親を馬鹿にするようになる。
分からない話ではありませんが、「白衣の男」、「精神病院」、「裁判」となると、ちょっと尋常ではありません。このおじさん、車で旅して暮らしていると言っておりましたが、本当でしょうか?
すべてがおじさんの妄想なのか、ひょっとしたら私が騙されているだけなのか、とにかく、とても優しそうなおじさんでした。袖触れ合うも他生の縁。どうぞ、お達者で。
2008年06月06日
再び屋根裏 2
好奇心とは、さほど旺盛なものではない、というお話です。
例えば、蕎麦にこだわる人にも、蕎麦本来の香りやのどごしが好きな人、実はおつゆが好きな人、
蕎麦ではなくて、蕎麦屋の女将が好きな人、これはもう、挙げればキリがありません。
おつゆの世界を辿って行けば、当然、醤油の世界に繋がるでしょうし、
醤油の世界は、大豆の世界、畑の世界へと繋がるでしょう。
一方で、ダシの方へと興味が湧けば、これはきっと、海へと辿り着くでしょう。
夏の蕎麦屋で、扇風機が回っていて、ビールを飲みながら、ユラユラと、天井の明かりを映す黒いつゆ。その背景には、広い、大海原が広がります。
とまあ、やったらキリがありませんから、
普通はあんまり、あれもこれもほじくり回して、覗き込んだりはしないですよね。
知らないものは知らない。興味のないものに関心は持たない。
世界の深遠に、はまり込んだら大変です。
以前、私の知り合いに、こんな人がおりました。
ある山で暮らす絵描きさんですが、この人、大変真面目な人です。
物事の突き詰めようが、尋常ではありません。
ある日、自分の使っている絵の具のことが気になりだしたそうです。
これは一体、何から出来ているのだろう、と。
そこで実際、自分で絵の具を作ってみて、一応は納得いたしまして、さて、今度はキャンパスが気になるのだそうです。
これは何だろう? と。
すると絵筆も気になってきて、絵筆がメガネ、メガネがヤスキヨ、と、道はどんどん続きます。
表現とは何だろう、物を作るとは、どういうことだろう。
ところで僕は、誰だろう?
実に怪しくなってまいりました。
その内に、この人、縄文土器を作り始めてしまいました。
随分と遡ったなぁ。
私、この人のことを、なんとなく尊敬いたしました。
しかし、それ以上に感心させられたのは、やはりいずれの道にも先人があるということでした。
縄文土器の世界にも、第一人者と呼ばれる人がいるそうでして、この絵描きさん、その人に師事したのだ、と言っておりました。
絵描きさん、心なしか胸を張るようでした。
例えば、蕎麦にこだわる人にも、蕎麦本来の香りやのどごしが好きな人、実はおつゆが好きな人、
蕎麦ではなくて、蕎麦屋の女将が好きな人、これはもう、挙げればキリがありません。
おつゆの世界を辿って行けば、当然、醤油の世界に繋がるでしょうし、
醤油の世界は、大豆の世界、畑の世界へと繋がるでしょう。
一方で、ダシの方へと興味が湧けば、これはきっと、海へと辿り着くでしょう。
夏の蕎麦屋で、扇風機が回っていて、ビールを飲みながら、ユラユラと、天井の明かりを映す黒いつゆ。その背景には、広い、大海原が広がります。
とまあ、やったらキリがありませんから、
普通はあんまり、あれもこれもほじくり回して、覗き込んだりはしないですよね。
知らないものは知らない。興味のないものに関心は持たない。
世界の深遠に、はまり込んだら大変です。
以前、私の知り合いに、こんな人がおりました。
ある山で暮らす絵描きさんですが、この人、大変真面目な人です。
物事の突き詰めようが、尋常ではありません。
ある日、自分の使っている絵の具のことが気になりだしたそうです。
これは一体、何から出来ているのだろう、と。
そこで実際、自分で絵の具を作ってみて、一応は納得いたしまして、さて、今度はキャンパスが気になるのだそうです。
これは何だろう? と。
すると絵筆も気になってきて、絵筆がメガネ、メガネがヤスキヨ、と、道はどんどん続きます。
表現とは何だろう、物を作るとは、どういうことだろう。
ところで僕は、誰だろう?
実に怪しくなってまいりました。
その内に、この人、縄文土器を作り始めてしまいました。
随分と遡ったなぁ。
私、この人のことを、なんとなく尊敬いたしました。
しかし、それ以上に感心させられたのは、やはりいずれの道にも先人があるということでした。
縄文土器の世界にも、第一人者と呼ばれる人がいるそうでして、この絵描きさん、その人に師事したのだ、と言っておりました。
絵描きさん、心なしか胸を張るようでした。
2008年06月03日
再び屋根裏 1
最近また、屋根裏ばかりをいじくっております。
梅雨が始まったかのかと思わせる、連日の雨。
屋根裏の小窓から覗く青笹が、しんなりと、とてもきれいです。
勢いに任せてやらないと、途中で挫折して、後がなかなか進まない。
そんなことって、よくありますね。
始めれば、終わる。
そう信じて、以前は、やりたくないことでもとにかく始めてしまえば終わる、
ですから私、始めた途端に、「終わったぁ」と思うことにしておりましたが、最近、そうもいきません。
頓挫というものを覚えてしまいました。
何事も、中途で止めてばかりおります。
しかし、好奇心というものは、大概、旺盛ではないものです。
すべてのものには、当然、それぞれの奥深い世界というものがありまして、つまり好奇の対象は、
数限りなくあるはずですが、そんなに色々な事に、興味って湧きませんよね。
例えば、蕎麦の世界。これは結構、混み合っておりますね。
以前見たテレビの番組。
有名な蕎麦の評論家が、長野か何処かの、蕎麦打ち名人の店に蕎麦を食いに行きます。
撮影のため貸切ったと思われるガランとした店の中で、この評論家、ズズズッーと、確かに威勢の良い音を立て、とても旨そうに蕎麦を啜ります。
蕎麦を知り尽くした熟年の錬味、そんなものを感じさせます。
レポーターが、どうですか? と尋ねますと、箸を置き、茶を啜り、コホンとひとつ咳をしてから、
「いい腕です。あっぱれ」
なんて、言いました。
一方で、蕎麦を打った方の名人。これも、この界隈では名の知れた人物です。
ですから今日は、改めて言うまでもなく、名人同士の「ぶつかり合い」です。
で、この名人。
厨房の入り口から半身を乗り出し、相手の様子を探ったりして、随分と弱気です。
裏で煙草でも吸って、ついでに紹興酒でも舐めたりしてればよさそうなものですが、きっと評論家の方が格が上なのだと思います。言ってみれば、固唾を呑んで見守っている、そんな風でした。
こちらにも、やはりレポーターがおりまして、どうですか、今の心境は?とマイクが向けられました。
するとこの格下名人、
「さすがです。蕎麦を啜る音が違います」と、言いました。
これ、なんだかピントのずれた褒め方だと思うのですが、どうでしょうか。
それともこの世界、これで良いのでしょうか。
確かに蕎麦を啜る音って、格好良くやりたいなぁ、と、私も常々思います。
蕎麦を啜る音でその人物が分かる。
何事の世界も、奥が深くて難しいものだなぁ、と思いました。
梅雨が始まったかのかと思わせる、連日の雨。
屋根裏の小窓から覗く青笹が、しんなりと、とてもきれいです。
勢いに任せてやらないと、途中で挫折して、後がなかなか進まない。
そんなことって、よくありますね。
始めれば、終わる。
そう信じて、以前は、やりたくないことでもとにかく始めてしまえば終わる、
ですから私、始めた途端に、「終わったぁ」と思うことにしておりましたが、最近、そうもいきません。
頓挫というものを覚えてしまいました。
何事も、中途で止めてばかりおります。
しかし、好奇心というものは、大概、旺盛ではないものです。
すべてのものには、当然、それぞれの奥深い世界というものがありまして、つまり好奇の対象は、
数限りなくあるはずですが、そんなに色々な事に、興味って湧きませんよね。
例えば、蕎麦の世界。これは結構、混み合っておりますね。
以前見たテレビの番組。
有名な蕎麦の評論家が、長野か何処かの、蕎麦打ち名人の店に蕎麦を食いに行きます。
撮影のため貸切ったと思われるガランとした店の中で、この評論家、ズズズッーと、確かに威勢の良い音を立て、とても旨そうに蕎麦を啜ります。
蕎麦を知り尽くした熟年の錬味、そんなものを感じさせます。
レポーターが、どうですか? と尋ねますと、箸を置き、茶を啜り、コホンとひとつ咳をしてから、
「いい腕です。あっぱれ」
なんて、言いました。
一方で、蕎麦を打った方の名人。これも、この界隈では名の知れた人物です。
ですから今日は、改めて言うまでもなく、名人同士の「ぶつかり合い」です。
で、この名人。
厨房の入り口から半身を乗り出し、相手の様子を探ったりして、随分と弱気です。
裏で煙草でも吸って、ついでに紹興酒でも舐めたりしてればよさそうなものですが、きっと評論家の方が格が上なのだと思います。言ってみれば、固唾を呑んで見守っている、そんな風でした。
こちらにも、やはりレポーターがおりまして、どうですか、今の心境は?とマイクが向けられました。
するとこの格下名人、
「さすがです。蕎麦を啜る音が違います」と、言いました。
これ、なんだかピントのずれた褒め方だと思うのですが、どうでしょうか。
それともこの世界、これで良いのでしょうか。
確かに蕎麦を啜る音って、格好良くやりたいなぁ、と、私も常々思います。
蕎麦を啜る音でその人物が分かる。
何事の世界も、奥が深くて難しいものだなぁ、と思いました。
