2008年03月24日
囲碁
昨日は朝の7時半から、村の道路掃除がありました。
そんなに早くからやらなくてもいいものを、やると言うから仕方なしにやりました。
年寄りばかりの集落ですから、別にこの手のことに労力を惜しむつもりはありません。
が、やっぱり心配なのは、早起きをしてお腹が下らないかしら、ということでした。
出先で腹が痛くなる、これが一番困るのです。
昨日は上手い具合に、起きて早々お腹が痛くなりまして、それから昼近くまでの掃除の間は、
何事もなく済みました。
これまでも、これからも、早起きをする度にお腹のことを心配して、それがきっと、私に課せられた
宿命なのだと思います。
天気の良い一日でしたから、久し振りに額に汗して働いて、帰ってきてすぐにビールを飲みました。こういう時のビールって、本当に美味いものです。
あんまり美味しかったので、2本、3本と飲みましたら、体の疲れがどっと出て、日はまだ高く、
いつもなら、これから何かをしようという時間に、すっかり一丁上がりとなりました。
一丁上がって、テレビをパチリと点けますと、ちょうど囲碁の対局が始まるところでした。
NHK杯決勝、だそうです。
私、囲碁のことはさっぱり分かりません。そのルールさえ知りません。
しかし、決勝戦だというので、ひとつ見てみようかと腰をすえ、結局、お仕舞いまでテレビの前から
離れませんでした。
珍しくそんなものを見る私に、妻が、「分かるの?」と尋ねまして、
「まったく分からない。囲碁といえば子供の頃、碁並べをやったくらいだよ」
すると妻は、自分も小さい頃、家に碁があって、碁石を舐めて遊んだくらいだ、と言いました。
碁石を舐めて遊ぶなんて、そんな遊び方があったのかと、私、感心いたしました。
ひとつの対局を見通せば、そのルールくらいは察しがつくだろう、と考えましたが、これがひとつも分かりませんでした。パチリ、パチリと碁石を打って、一体何を競うのか。
相手の石の四方を囲むと、それを取ることが出来るようで、
ははあ、さてはこうやって、囲って石を取る遊びかな、と考えましたが、
しかし、それにしては、ああ置けばいいものをああ置かず、結局、取り合った石の数も数粒です。
すると一体何なのだろう?この人達は、何をやっているのだろう?
しばらくの間見続けて、分かったことは、石を置ける場所と置けない場所があるらしい、
ということだけでした。
解説の人が、これは絶妙な手ですね、なんて言っても、何が絶妙なのか、どうしてそんな変なところに石を置くのか、考えても分からないことを考えて、興味は別に移るようでした。
これ、ナントカ名人とナントカ十段の対局でしたが、この名人、とても若い青年で、考え込むと、
コリコリと爪を噛んでしまいます。
なんだか見ているこちらの指先までが、赤くヒリヒリとしてくるようで、ああ、テレビに映っているのに
おかしいなぁ、と思う反面、その集中に、名人たるものを見たような気もいたします。
とにかく、とても真面目で神経質な、頭で囲碁を打つようなタイプと見受けられました。
一方、十段の方は、髪の毛がボサボサのおじさんで、焼酎焼けした赤い顔は、間違いなく酒飲みのものと思われます。
グシャグシャと頭をかきむしっては、始終ぶつぶつと呟いて、ああ、馬鹿な手だ、とか、石よ何処に行っちゃうんだ、とか・・。
かと思うと突然、バチン、バチンと自分の頬っぺたを叩いたりして、なんだか非常に面白いのです。
ドヤドヤと、泥臭い、揉まれた世界で囲碁を打ってきた人に違いない、そんな印象でした。
そうなりますと、やはりこのおじさんを応援したくなりますが、結果は、僅かな差で、名人の勝ちでした。この僅かな差、というのも、その後の会話から察したことでして、いまいち何の差だかよく分かりません。
恐らくは、最終的にどちらの石の数が多かったか、ということなのだと思いますが、これも確かではありません。
何をやっているのだか分からない人達を、1時間も2時間も見続けて、それでも面白かったというのは、勿論、私が暇であったからだと思います。
しかし、やはり勝負事の真剣さには、形を飛び越えた真味というものがあるような気がいたします。
そんなに早くからやらなくてもいいものを、やると言うから仕方なしにやりました。
年寄りばかりの集落ですから、別にこの手のことに労力を惜しむつもりはありません。
が、やっぱり心配なのは、早起きをしてお腹が下らないかしら、ということでした。
出先で腹が痛くなる、これが一番困るのです。
昨日は上手い具合に、起きて早々お腹が痛くなりまして、それから昼近くまでの掃除の間は、
何事もなく済みました。
これまでも、これからも、早起きをする度にお腹のことを心配して、それがきっと、私に課せられた
宿命なのだと思います。
天気の良い一日でしたから、久し振りに額に汗して働いて、帰ってきてすぐにビールを飲みました。こういう時のビールって、本当に美味いものです。
あんまり美味しかったので、2本、3本と飲みましたら、体の疲れがどっと出て、日はまだ高く、
いつもなら、これから何かをしようという時間に、すっかり一丁上がりとなりました。
一丁上がって、テレビをパチリと点けますと、ちょうど囲碁の対局が始まるところでした。
NHK杯決勝、だそうです。
私、囲碁のことはさっぱり分かりません。そのルールさえ知りません。
しかし、決勝戦だというので、ひとつ見てみようかと腰をすえ、結局、お仕舞いまでテレビの前から
離れませんでした。
珍しくそんなものを見る私に、妻が、「分かるの?」と尋ねまして、
「まったく分からない。囲碁といえば子供の頃、碁並べをやったくらいだよ」
すると妻は、自分も小さい頃、家に碁があって、碁石を舐めて遊んだくらいだ、と言いました。
碁石を舐めて遊ぶなんて、そんな遊び方があったのかと、私、感心いたしました。
ひとつの対局を見通せば、そのルールくらいは察しがつくだろう、と考えましたが、これがひとつも分かりませんでした。パチリ、パチリと碁石を打って、一体何を競うのか。
相手の石の四方を囲むと、それを取ることが出来るようで、
ははあ、さてはこうやって、囲って石を取る遊びかな、と考えましたが、
しかし、それにしては、ああ置けばいいものをああ置かず、結局、取り合った石の数も数粒です。
すると一体何なのだろう?この人達は、何をやっているのだろう?
しばらくの間見続けて、分かったことは、石を置ける場所と置けない場所があるらしい、
ということだけでした。
解説の人が、これは絶妙な手ですね、なんて言っても、何が絶妙なのか、どうしてそんな変なところに石を置くのか、考えても分からないことを考えて、興味は別に移るようでした。
これ、ナントカ名人とナントカ十段の対局でしたが、この名人、とても若い青年で、考え込むと、
コリコリと爪を噛んでしまいます。
なんだか見ているこちらの指先までが、赤くヒリヒリとしてくるようで、ああ、テレビに映っているのに
おかしいなぁ、と思う反面、その集中に、名人たるものを見たような気もいたします。
とにかく、とても真面目で神経質な、頭で囲碁を打つようなタイプと見受けられました。
一方、十段の方は、髪の毛がボサボサのおじさんで、焼酎焼けした赤い顔は、間違いなく酒飲みのものと思われます。
グシャグシャと頭をかきむしっては、始終ぶつぶつと呟いて、ああ、馬鹿な手だ、とか、石よ何処に行っちゃうんだ、とか・・。
かと思うと突然、バチン、バチンと自分の頬っぺたを叩いたりして、なんだか非常に面白いのです。
ドヤドヤと、泥臭い、揉まれた世界で囲碁を打ってきた人に違いない、そんな印象でした。
そうなりますと、やはりこのおじさんを応援したくなりますが、結果は、僅かな差で、名人の勝ちでした。この僅かな差、というのも、その後の会話から察したことでして、いまいち何の差だかよく分かりません。
恐らくは、最終的にどちらの石の数が多かったか、ということなのだと思いますが、これも確かではありません。
何をやっているのだか分からない人達を、1時間も2時間も見続けて、それでも面白かったというのは、勿論、私が暇であったからだと思います。
しかし、やはり勝負事の真剣さには、形を飛び越えた真味というものがあるような気がいたします。
