2007年12月03日
湯煙考
最近、海外に出ると言ってもせいぜいひと月ふた月ですから、旅行中に日本食が恋しくなる、ということはまずありません。
ですから、帰国してさっそく蕎麦や何かをすすっても、昔のように震えるような喜びを感じることはなくなりました。
その代わりに、最近震えてしまうのが、風呂であります。
空港からのその足で、必ず何処かの銭湯に立ち寄りまして、帰国するのは大抵朝の便ですから、
午前中のひとっ風呂、これがたまらないのです。
午前中でも、風呂に入っている人間というのは結構いるものでして、一体この人たちはきちんと働いているのだろうか、なんて、他人事ながらも少々心配になります。
モウモウと立ち昇る湯煙の中、湯船のへりに腰掛けて、何やら世間話をしているじいさん。
かと思えば、露天風呂ではその辺の床に裸で大の字に寝転ぶ者もいて、
いやあ、実にのん気極まりない。
こういう光景を、いまだ外国を旅している感覚が抜けきらぬ目で眺めると、日本の風呂文化って、
改めて素晴らしいなぁ、と思います。
それからもうひとつ嬉しいことは、外国を旅していると、それぞれの国の習慣というものが当然ありまして、これがなかなか身につくものではありません。
我々は、旅をすると言っても、主に旅行者が動きやすい場所を動いているだけでして、もっとディープな、その土地に暮らす人たちだけが集う場所、そんな場所に出入りするには、この習慣なしには
なかなかやりづらいものがあります。
例えば以前、旅先で同じように公共浴場に行ったことがありますが、勝手が分からずにまごまごとするばかりで、ちっとも落ち着いた気分になれませんでした。
ちょっと珍しい料理を食べようと出掛けても、言葉も通じなければ、そのオーダーの仕方も食べ方も分からない。そんな経験が、掘り起こせば随分とあります。
ところが、ここは、日本の風呂なのです。
誰かに何かを尋ねなくたって、私、ちゃんとその入り方を知っています。
かけ湯を流して、体を洗って、湯船に浸かって、ああ、と言う。
なんだか、そういう当たり前のことが出来る自分に、誇りさえ覚えるようです。
どうだ、俺は知っているぞ。ここは、俺の暮らす国なんだ。
これ、結局は、自分の場所があるということを改めて噛みしめる喜びなのでしょうね。
そんなことを考えて風呂に入っている人もあまりいないでしょうが、しかし、こうした目で眺めれば、
成程みんな、実に自然に、自分の場所にいるではありませんか。
肩に刺青を入れた粋がった兄さんだって、なに、日本人です、湯船の中にタオルを入れるようなことは決していたしません。これ、本当ですよ。今度注意して見てみて下さい。
こういうの、いいなぁ、と思います。日本の文化、いいじゃあないか、って思います。
こういう自分の場所にいる人たちって、別にこれと言って特別なことをしている訳ではないのですが、何故かしら、格好良く見えるものです。
私、最近、月に2回は消防のポンプ点検というのに出掛けます。
出掛けると言ったって、向こうではただ突っ立って見ているだけですから、ポンプの動かし方も何も知りません。そんな中、手際よく、ドドドッとエンジンを掛けて、バババッと放水する連中を見ていると、
これ、ほんとに田舎の普通のおっさん達なのですが、やはり、カッコイイなぁ、と思います。
この錯覚、錯覚と言っては失礼ですが、やはり私が、居場所のない、まごまごとする外国人であるが故のものなのです。
しかし、こういうまごまごとした目と言うのは、決して悪いものではありません。
何と言っても、物事が新鮮に見えますし、生活に味わいというものが生まれます。
外国人になったつもりで、ちょっと日々の生活を見直してみる、これは意外に楽しいことです。
ロンリープラネットという、英語圏の人間には非常にポピュラーなガイドブックがありますが、
私、これの「JAPAN」を持っております。
食べ物から宿泊施設、交通手段、日本を旅するためのあらゆる情報が、外国人、それも主にバックパッカー向けに書かれておりますから、読み物として、ちょっとお勧めです。
我々の知らない、新たな日本を、発見出来るのではないでしょうか。
ですから、帰国してさっそく蕎麦や何かをすすっても、昔のように震えるような喜びを感じることはなくなりました。
その代わりに、最近震えてしまうのが、風呂であります。
空港からのその足で、必ず何処かの銭湯に立ち寄りまして、帰国するのは大抵朝の便ですから、
午前中のひとっ風呂、これがたまらないのです。
午前中でも、風呂に入っている人間というのは結構いるものでして、一体この人たちはきちんと働いているのだろうか、なんて、他人事ながらも少々心配になります。
モウモウと立ち昇る湯煙の中、湯船のへりに腰掛けて、何やら世間話をしているじいさん。
かと思えば、露天風呂ではその辺の床に裸で大の字に寝転ぶ者もいて、
いやあ、実にのん気極まりない。
こういう光景を、いまだ外国を旅している感覚が抜けきらぬ目で眺めると、日本の風呂文化って、
改めて素晴らしいなぁ、と思います。
それからもうひとつ嬉しいことは、外国を旅していると、それぞれの国の習慣というものが当然ありまして、これがなかなか身につくものではありません。
我々は、旅をすると言っても、主に旅行者が動きやすい場所を動いているだけでして、もっとディープな、その土地に暮らす人たちだけが集う場所、そんな場所に出入りするには、この習慣なしには
なかなかやりづらいものがあります。
例えば以前、旅先で同じように公共浴場に行ったことがありますが、勝手が分からずにまごまごとするばかりで、ちっとも落ち着いた気分になれませんでした。
ちょっと珍しい料理を食べようと出掛けても、言葉も通じなければ、そのオーダーの仕方も食べ方も分からない。そんな経験が、掘り起こせば随分とあります。
ところが、ここは、日本の風呂なのです。
誰かに何かを尋ねなくたって、私、ちゃんとその入り方を知っています。
かけ湯を流して、体を洗って、湯船に浸かって、ああ、と言う。
なんだか、そういう当たり前のことが出来る自分に、誇りさえ覚えるようです。
どうだ、俺は知っているぞ。ここは、俺の暮らす国なんだ。
これ、結局は、自分の場所があるということを改めて噛みしめる喜びなのでしょうね。
そんなことを考えて風呂に入っている人もあまりいないでしょうが、しかし、こうした目で眺めれば、
成程みんな、実に自然に、自分の場所にいるではありませんか。
肩に刺青を入れた粋がった兄さんだって、なに、日本人です、湯船の中にタオルを入れるようなことは決していたしません。これ、本当ですよ。今度注意して見てみて下さい。
こういうの、いいなぁ、と思います。日本の文化、いいじゃあないか、って思います。
こういう自分の場所にいる人たちって、別にこれと言って特別なことをしている訳ではないのですが、何故かしら、格好良く見えるものです。
私、最近、月に2回は消防のポンプ点検というのに出掛けます。
出掛けると言ったって、向こうではただ突っ立って見ているだけですから、ポンプの動かし方も何も知りません。そんな中、手際よく、ドドドッとエンジンを掛けて、バババッと放水する連中を見ていると、
これ、ほんとに田舎の普通のおっさん達なのですが、やはり、カッコイイなぁ、と思います。
この錯覚、錯覚と言っては失礼ですが、やはり私が、居場所のない、まごまごとする外国人であるが故のものなのです。
しかし、こういうまごまごとした目と言うのは、決して悪いものではありません。
何と言っても、物事が新鮮に見えますし、生活に味わいというものが生まれます。
外国人になったつもりで、ちょっと日々の生活を見直してみる、これは意外に楽しいことです。
ロンリープラネットという、英語圏の人間には非常にポピュラーなガイドブックがありますが、
私、これの「JAPAN」を持っております。
食べ物から宿泊施設、交通手段、日本を旅するためのあらゆる情報が、外国人、それも主にバックパッカー向けに書かれておりますから、読み物として、ちょっとお勧めです。
我々の知らない、新たな日本を、発見出来るのではないでしょうか。
