2007年10月26日
パラダイス
私の家の近くに、パラダイスがあります。
正確に申しますと、車で10分ばかり山を登ったふたつ向こうの集落に差し掛かるちょっと手前、左手に山の斜面を下る細い横道がありまして、おっかなびっくりこれを下って、川沿いにしばらく歩くとそれはあります。
パラダイスに近づくと、まず聞こえてくるのが犬の鳴き声であります。
それも、10や20ではきかない数の犬が、ワンワンワンワン、これがみんな放し飼いにされていますから、なんだか身の危険を覚えます。
それからその犬の糞尿の匂い。
土の道が汚らしくぬかるんで、ちょっと迂闊には歩けません。
私がここを訪れたのは、その辺りに大滝と呼ばれる滝があると聞いたからでした。
しかし、別に観光名所という訳でもない山の中の滝ですから、あてにする標識もなく、ちょっと見当を失ったかな、という時に、この犬屋敷が現れたのです。
幸い、犬は遠吠えするばかりでして、襲ってくるようなことはありませんでしたが、しかし一体、
ここは何なのだろう、と思いました。
中からは、ラジオの音が大きく聞こえて、どうやら人が暮らす家のようではあります。
道を尋ねようと、犬のいない裏手に回ると、そこには更に、檻に入れられた犬が数匹、私を見てウーウーと唸り声を上げておりました。
声を掛けるも、人の気配はまったく感じられませんでした。
と、何か大きな生き物の気配を感じて振り向きますと、横手の敷地でのそのそと、草を食んでいるのはロバではありませんか。
ロバ?
このロバを囲う柵を柱に、アメリカの牧場のようにアーチを描いた古びた看板が掛けられていて、
そこには下手糞な手書きのペンキ文字で、
「Welcome to paradise」
と、ありました。
パラダイス?
私、あまりの想像外のことに、なんだか狐に化かされているような気分になりました。
泉鏡花の小説に、こんな話がありました。
少年が、綺麗な色の昆虫を夢中で追いかける内に、神隠しのようなものにあってしまう。
滝を見に来た男が、山道を踏み違えて、おかしなパラダイスへと辿り着く。
なんだかそんな、気分でありました。
そこへ、一台の車がぶぶうとやって来まして、現れた60風情の男、ばさばさの白髪に、酒呑みに見られるような、濁った目つきとしまりのない口元、これが、このパラダイスの主のようなのでした。
道を尋ねると、別段、悪い人のようではありませんでしたが、しかし私が、すごい数の犬ですね、
なんて話しかけてもまったくの上の空、ただただ、この時同行した友人の3つになる小さな子供を、
めんこいめんこい、と、じっと見つめているばかりでした。
なんだか、夜中に襖隔てた隣の間で、シャーッ、シャーッ、と包丁を研ぐ山姥が連想されて、
私、ちょっと怖いような気持ちになりました。
私が今住むところは、大変な田舎であります。
日本の田舎といえば、これくらいが打ち止めかな、と思われるような場所であります。
それでも、集落となれば電気や水道は勿論通っておりますし、みんな人並みの暮らしをしていますから、自然が多いといっても、やはり、人の手は至るところに入っております。
例えば、私の家の前を流れる川。
これ、くるぶしほどの浅い流れですが、それでも昨年、ブルドーザーが入って、ガンガンゴンゴン、
なにやらよく分からない河川工事をしておりました。
どうしてこんな川に工事が必要なのか理解しかねる思いでしたが、一方で、こんなところにまでやって来ても、やはり人がいるところに住む限りは、こういう自然を切り崩す光景を目にしない訳にはいかないのだな、と思いました。
ですから私、何となく、あのパラダイスの主の気持ちが分かるような気がいたします。
あのおじさん、恐らくはあの辺り一帯の土地を買って、誰にも手を入れさせない、自分だけの楽園を
作り上げようとしたに違いありません。
この辺りの山は、ひと山何百万円という値段でして、時々私も、山でも買おうかなぁ、なんて夢想します。
山でも買って、木を切り倒して道を作って、小屋を建てて、風呂を作って、その入り口にはやはり、
「welcome to paradise」
と掛けるかなぁ。
正確に申しますと、車で10分ばかり山を登ったふたつ向こうの集落に差し掛かるちょっと手前、左手に山の斜面を下る細い横道がありまして、おっかなびっくりこれを下って、川沿いにしばらく歩くとそれはあります。
パラダイスに近づくと、まず聞こえてくるのが犬の鳴き声であります。
それも、10や20ではきかない数の犬が、ワンワンワンワン、これがみんな放し飼いにされていますから、なんだか身の危険を覚えます。
それからその犬の糞尿の匂い。
土の道が汚らしくぬかるんで、ちょっと迂闊には歩けません。
私がここを訪れたのは、その辺りに大滝と呼ばれる滝があると聞いたからでした。
しかし、別に観光名所という訳でもない山の中の滝ですから、あてにする標識もなく、ちょっと見当を失ったかな、という時に、この犬屋敷が現れたのです。
幸い、犬は遠吠えするばかりでして、襲ってくるようなことはありませんでしたが、しかし一体、
ここは何なのだろう、と思いました。
中からは、ラジオの音が大きく聞こえて、どうやら人が暮らす家のようではあります。
道を尋ねようと、犬のいない裏手に回ると、そこには更に、檻に入れられた犬が数匹、私を見てウーウーと唸り声を上げておりました。
声を掛けるも、人の気配はまったく感じられませんでした。
と、何か大きな生き物の気配を感じて振り向きますと、横手の敷地でのそのそと、草を食んでいるのはロバではありませんか。
ロバ?
このロバを囲う柵を柱に、アメリカの牧場のようにアーチを描いた古びた看板が掛けられていて、
そこには下手糞な手書きのペンキ文字で、
「Welcome to paradise」
と、ありました。
パラダイス?
私、あまりの想像外のことに、なんだか狐に化かされているような気分になりました。
泉鏡花の小説に、こんな話がありました。
少年が、綺麗な色の昆虫を夢中で追いかける内に、神隠しのようなものにあってしまう。
滝を見に来た男が、山道を踏み違えて、おかしなパラダイスへと辿り着く。
なんだかそんな、気分でありました。
そこへ、一台の車がぶぶうとやって来まして、現れた60風情の男、ばさばさの白髪に、酒呑みに見られるような、濁った目つきとしまりのない口元、これが、このパラダイスの主のようなのでした。
道を尋ねると、別段、悪い人のようではありませんでしたが、しかし私が、すごい数の犬ですね、
なんて話しかけてもまったくの上の空、ただただ、この時同行した友人の3つになる小さな子供を、
めんこいめんこい、と、じっと見つめているばかりでした。
なんだか、夜中に襖隔てた隣の間で、シャーッ、シャーッ、と包丁を研ぐ山姥が連想されて、
私、ちょっと怖いような気持ちになりました。
私が今住むところは、大変な田舎であります。
日本の田舎といえば、これくらいが打ち止めかな、と思われるような場所であります。
それでも、集落となれば電気や水道は勿論通っておりますし、みんな人並みの暮らしをしていますから、自然が多いといっても、やはり、人の手は至るところに入っております。
例えば、私の家の前を流れる川。
これ、くるぶしほどの浅い流れですが、それでも昨年、ブルドーザーが入って、ガンガンゴンゴン、
なにやらよく分からない河川工事をしておりました。
どうしてこんな川に工事が必要なのか理解しかねる思いでしたが、一方で、こんなところにまでやって来ても、やはり人がいるところに住む限りは、こういう自然を切り崩す光景を目にしない訳にはいかないのだな、と思いました。
ですから私、何となく、あのパラダイスの主の気持ちが分かるような気がいたします。
あのおじさん、恐らくはあの辺り一帯の土地を買って、誰にも手を入れさせない、自分だけの楽園を
作り上げようとしたに違いありません。
この辺りの山は、ひと山何百万円という値段でして、時々私も、山でも買おうかなぁ、なんて夢想します。
山でも買って、木を切り倒して道を作って、小屋を建てて、風呂を作って、その入り口にはやはり、
「welcome to paradise」
と掛けるかなぁ。
2007年10月18日
親指の米
秋ですね。
朝晩、すっかり冷え込むようになりました。
先週、いつでしたか小雨の煙る肌寒い日に、とうとう囲炉裏に火を入れました。
火を焚くというのは楽しいことですから、一度始めてしまうとついつい、そんなに寒くない日もやっぱり火を焚いて、かんかんに燃え盛る炭火を前に、タンクトップで過ごしたりなどしております。
きっとこのまま、冬になってしまうのでしょうね。
私、仕事で扱うのは通年半袖のTシャツのみですから、自然、この季節、暇であります。
仕事が暇であることは困るようにも思われますが、しかし、普通に考えて、冬に半袖が売れる訳がありません。
売れる訳がないものが売れないからといって、やきもきするのはおかしな話で、ですから私、
心は澄み渡った秋空のように、むしろこの季節、せっせと集めたどんぐりを、土の中から掘り起こし、
口いっぱいにこれを頬張る、そんな幸せを感じて日々過ごしております。
で、暇になって何をしているかと言いますと、家の掃除をしております。
それから日曜大工。あとはお出掛け。
ほぼ、この3つの行動で、短くなった秋の日が暮れていきます。
私のうちは、家の中のほとんどが板張りでして、板張りといいましても、いわゆるフローリングといった洒落たものではなく、白く粉を吹いた年季の入った板であります。
ですから雑巾をかけると、そこだけ乾いた板が水を吸って、木本来の茶色い色に戻ります。
四つ這いになってうんうんとこれを続ける内に、そもそもは床をきれいにすることが目的であったはずが、いつの間にか、木の色を茶色くすることが目的にすり替わっている、なんてことがよくあります。
こういうすり替わり、日常的に、実によく見られるものでして、その大半の要因は、慣れと楽であります。つまり、単純で、面白くもなんともない、加えてしんどい作業において、発生しやすい現象です。
最近、たまたま予定が重なりまして、立て続けに3つの温泉宿に泊まりました。
私の場合、宿泊する2、3日前に慌てて宿を探すといったことが多いですから、まあ、空いている宿といえばろくなものがありません。
最近の傾向では、例えば、離れの露天付き、一泊3万円、なんて上等な宿のほうが早くなくなるようでして、一泊1万円、何々温泉ホテル、なんていうのはそれほど人気がないようです。
実際こういう宿って、何のお得感もありませんものね。
で、私もこういうお得感のない宿に泊まるくらいなら、お金が勿体ないですから、むしろボロボロの民宿でよい訳でして、しかし、土に埋まったどんぐりがいっぱいある内は、ボロボロの民宿よりも、離れの露天付きのほうが尚よいのです。
しかしこれが、2、3日前ではなかなか取れないのです。
ところが、河口湖のとある宿で、たまたまキャンセルが出まして、先日、私、急遽泊まりに行ってまいりました。
この宿、離れではありませんでしたが、ふた間続きの露天付き、木の香りがぷんと漂う、新しいお宿でした。ちなみに宿代は、一泊3万いくらと、結構な値でありました。
この宿に関して、行く前から気になっていたことがありました。
それは、インターネットの口コミ情報、実際にこの宿に泊まった人達の感想ですね、これを拝読したのですが、大方は大変満足といった趣旨のものでしたが、その中にひとつだけ、こんな投稿があったのです。
夕食の時、仲居さんが、お茶碗の内側に親指を掛けて配膳しました。
ちょっと信じられないと思って見ていると、お終いには、ご飯を盛ったお茶碗も同じように差し出して、その親指にお米がついてしまう始末でした。他が良かっただけにとても残念でした・・。
ええっ、そんなことってあるだろうか?
一泊4万円近くもする高級お宿で、仲居さんの親指に米?
白米にずっぽりと、親指の形をした穴が開いた衝撃的な想像に、私、俄然わくわくとしてまいりました。
で、実際の夕食で。
私、仲居さんの配膳から目が離せませんでした。
今か今かと待ち焦がれるように、黙ってじっと見守りました。
おかずの内容なんて、もう、どうでもいいくらいでした。
仲居さんにも、ピンからキリまであるでしょうから、この人が、果たして例の親指姫とは限りません。
しかし、ここまで遥々やって来たからには、どうしてもやってもらわなくては困る。
私すでに、そんな気持ちになっておりました。
結果は、親指に米、とまではいきませんでしたが、やはり、お茶碗の内側に指を掛けて配膳する、
という投稿は間違いではありませんでした。
まあ、7割方、満足のいく結果でした。
この仲居さんの給仕、例のすり替わりに違いありません。
客をもてなすという本来の目的が、卓の上に茶碗を並べるという、ただそれだけの作業にすり替わってしまっているのです。
仲居さんにしてみれば、元々がお給金のための仕事ですから、もてなすという気持ちにしたって大したものはないのかも知れません。しかし、ひとつの宿としてみれば、結局は、これは忌々しき問題のあるすり替りが起こってしまっているのです。
経営者は、頭が痛いだろうなぁ、と思います。
朝晩、すっかり冷え込むようになりました。
先週、いつでしたか小雨の煙る肌寒い日に、とうとう囲炉裏に火を入れました。
火を焚くというのは楽しいことですから、一度始めてしまうとついつい、そんなに寒くない日もやっぱり火を焚いて、かんかんに燃え盛る炭火を前に、タンクトップで過ごしたりなどしております。
きっとこのまま、冬になってしまうのでしょうね。
私、仕事で扱うのは通年半袖のTシャツのみですから、自然、この季節、暇であります。
仕事が暇であることは困るようにも思われますが、しかし、普通に考えて、冬に半袖が売れる訳がありません。
売れる訳がないものが売れないからといって、やきもきするのはおかしな話で、ですから私、
心は澄み渡った秋空のように、むしろこの季節、せっせと集めたどんぐりを、土の中から掘り起こし、
口いっぱいにこれを頬張る、そんな幸せを感じて日々過ごしております。
で、暇になって何をしているかと言いますと、家の掃除をしております。
それから日曜大工。あとはお出掛け。
ほぼ、この3つの行動で、短くなった秋の日が暮れていきます。
私のうちは、家の中のほとんどが板張りでして、板張りといいましても、いわゆるフローリングといった洒落たものではなく、白く粉を吹いた年季の入った板であります。
ですから雑巾をかけると、そこだけ乾いた板が水を吸って、木本来の茶色い色に戻ります。
四つ這いになってうんうんとこれを続ける内に、そもそもは床をきれいにすることが目的であったはずが、いつの間にか、木の色を茶色くすることが目的にすり替わっている、なんてことがよくあります。
こういうすり替わり、日常的に、実によく見られるものでして、その大半の要因は、慣れと楽であります。つまり、単純で、面白くもなんともない、加えてしんどい作業において、発生しやすい現象です。
最近、たまたま予定が重なりまして、立て続けに3つの温泉宿に泊まりました。
私の場合、宿泊する2、3日前に慌てて宿を探すといったことが多いですから、まあ、空いている宿といえばろくなものがありません。
最近の傾向では、例えば、離れの露天付き、一泊3万円、なんて上等な宿のほうが早くなくなるようでして、一泊1万円、何々温泉ホテル、なんていうのはそれほど人気がないようです。
実際こういう宿って、何のお得感もありませんものね。
で、私もこういうお得感のない宿に泊まるくらいなら、お金が勿体ないですから、むしろボロボロの民宿でよい訳でして、しかし、土に埋まったどんぐりがいっぱいある内は、ボロボロの民宿よりも、離れの露天付きのほうが尚よいのです。
しかしこれが、2、3日前ではなかなか取れないのです。
ところが、河口湖のとある宿で、たまたまキャンセルが出まして、先日、私、急遽泊まりに行ってまいりました。
この宿、離れではありませんでしたが、ふた間続きの露天付き、木の香りがぷんと漂う、新しいお宿でした。ちなみに宿代は、一泊3万いくらと、結構な値でありました。
この宿に関して、行く前から気になっていたことがありました。
それは、インターネットの口コミ情報、実際にこの宿に泊まった人達の感想ですね、これを拝読したのですが、大方は大変満足といった趣旨のものでしたが、その中にひとつだけ、こんな投稿があったのです。
夕食の時、仲居さんが、お茶碗の内側に親指を掛けて配膳しました。
ちょっと信じられないと思って見ていると、お終いには、ご飯を盛ったお茶碗も同じように差し出して、その親指にお米がついてしまう始末でした。他が良かっただけにとても残念でした・・。
ええっ、そんなことってあるだろうか?
一泊4万円近くもする高級お宿で、仲居さんの親指に米?
白米にずっぽりと、親指の形をした穴が開いた衝撃的な想像に、私、俄然わくわくとしてまいりました。
で、実際の夕食で。
私、仲居さんの配膳から目が離せませんでした。
今か今かと待ち焦がれるように、黙ってじっと見守りました。
おかずの内容なんて、もう、どうでもいいくらいでした。
仲居さんにも、ピンからキリまであるでしょうから、この人が、果たして例の親指姫とは限りません。
しかし、ここまで遥々やって来たからには、どうしてもやってもらわなくては困る。
私すでに、そんな気持ちになっておりました。
結果は、親指に米、とまではいきませんでしたが、やはり、お茶碗の内側に指を掛けて配膳する、
という投稿は間違いではありませんでした。
まあ、7割方、満足のいく結果でした。
この仲居さんの給仕、例のすり替わりに違いありません。
客をもてなすという本来の目的が、卓の上に茶碗を並べるという、ただそれだけの作業にすり替わってしまっているのです。
仲居さんにしてみれば、元々がお給金のための仕事ですから、もてなすという気持ちにしたって大したものはないのかも知れません。しかし、ひとつの宿としてみれば、結局は、これは忌々しき問題のあるすり替りが起こってしまっているのです。
経営者は、頭が痛いだろうなぁ、と思います。
2007年10月07日
牧水の旅
若山牧水という人をご存知ですか。
明治から大正を生きた歌人で、旅を愛し、酒を愛し、友を愛し、そうして勿論、歌を愛した人であります。一般に、彼の代表作と言えば、こんな歌があります。
幾山河 越えさり行かば 寂しさの はてなむ国ぞ 今日も旅ゆく
私、この歌、大好きです。
牧水は、実に旅人だなぁ、と思います。
これ、旅をするから旅人という意味ではなくて、彼の生き方そのものが、旅だなぁと思うのです。
寂しさの果て。
この寂しさは、つまり心の空洞だと思います。
何をしたって満たされない、ぽっかりと空いた空洞です。
金に困らず、温かい家庭もあり、何不自由ないそんな暮らしをしていても、どうしても埋まらぬ空洞というものがあります。
そんなものは俺にはないよ、と言われてしまえばそれまでですが、しかし、少なくとも、そういう空洞を感じて生きている人間はいるものです。
これを何で埋めようとするのかは、各人の自由です。
それは例えば、子供に愛情を注ぐことであったり、仕事に打ち込むことであったり、表現であったり、宗教であったり、はたまた、人によっては旅であったり、酒であったり。
ですから、牧水の旅は、ただあそこに行きたいから行った、というものではなくて、出掛けずにはいられないから出掛けた旅なのだと思います。
私も同じような類の人間ですから言えるのですが、こういう旅は、突き詰めれば、行き先は何処だって構わないのです。ただ、旅に出掛けるということが、とても、大事なことなのです。
幾つもの山河を越えたその先で、いずれは心が満たされる世界にも出会えるだろうか、
そんな、旅なのです。
牧水の歌に、こんな歌もあります。
今日もまた 心の鐘を打ち鳴らし 打ち鳴らしつつ あくがれてゆく
先の歌と同じようなものを感じて、やはりこれも、私の好きな歌のひとつであります。
牧水は、「朝2合昼2合夕方4合締めて1升」と、1日にそれだけの酒を飲んでいた人ですから、結局は、体を壊して43才の若さで亡くなりました。
やはり同じように酒が好きな私は、牧水の酒が、旅と等しく、なくてはならないものであったことがよく分かります。旅先で友を訪ね、酒を酌み交わすことに無量の喜びを感じた牧水が、とても身近な存在と思えてなりません。
春待ちて 夕べに遠く せみ時雨
これは、私の句であります。
春を待っていたはずが、いつの間にか、夏の夕暮れが訪れていた。
待ち焦がれたものが、目の前を過ぎ去ってしまったことに気がつきもしなかった。
また来年、再来年の春を待とう。
そんな意味の句であります。
人の人生って、人の暮らしって、何処かそういうところがあるような気がいたします。
明治から大正を生きた歌人で、旅を愛し、酒を愛し、友を愛し、そうして勿論、歌を愛した人であります。一般に、彼の代表作と言えば、こんな歌があります。
幾山河 越えさり行かば 寂しさの はてなむ国ぞ 今日も旅ゆく
私、この歌、大好きです。
牧水は、実に旅人だなぁ、と思います。
これ、旅をするから旅人という意味ではなくて、彼の生き方そのものが、旅だなぁと思うのです。
寂しさの果て。
この寂しさは、つまり心の空洞だと思います。
何をしたって満たされない、ぽっかりと空いた空洞です。
金に困らず、温かい家庭もあり、何不自由ないそんな暮らしをしていても、どうしても埋まらぬ空洞というものがあります。
そんなものは俺にはないよ、と言われてしまえばそれまでですが、しかし、少なくとも、そういう空洞を感じて生きている人間はいるものです。
これを何で埋めようとするのかは、各人の自由です。
それは例えば、子供に愛情を注ぐことであったり、仕事に打ち込むことであったり、表現であったり、宗教であったり、はたまた、人によっては旅であったり、酒であったり。
ですから、牧水の旅は、ただあそこに行きたいから行った、というものではなくて、出掛けずにはいられないから出掛けた旅なのだと思います。
私も同じような類の人間ですから言えるのですが、こういう旅は、突き詰めれば、行き先は何処だって構わないのです。ただ、旅に出掛けるということが、とても、大事なことなのです。
幾つもの山河を越えたその先で、いずれは心が満たされる世界にも出会えるだろうか、
そんな、旅なのです。
牧水の歌に、こんな歌もあります。
今日もまた 心の鐘を打ち鳴らし 打ち鳴らしつつ あくがれてゆく
先の歌と同じようなものを感じて、やはりこれも、私の好きな歌のひとつであります。
牧水は、「朝2合昼2合夕方4合締めて1升」と、1日にそれだけの酒を飲んでいた人ですから、結局は、体を壊して43才の若さで亡くなりました。
やはり同じように酒が好きな私は、牧水の酒が、旅と等しく、なくてはならないものであったことがよく分かります。旅先で友を訪ね、酒を酌み交わすことに無量の喜びを感じた牧水が、とても身近な存在と思えてなりません。
春待ちて 夕べに遠く せみ時雨
これは、私の句であります。
春を待っていたはずが、いつの間にか、夏の夕暮れが訪れていた。
待ち焦がれたものが、目の前を過ぎ去ってしまったことに気がつきもしなかった。
また来年、再来年の春を待とう。
そんな意味の句であります。
人の人生って、人の暮らしって、何処かそういうところがあるような気がいたします。
2007年10月05日
あさやを守る会
以前住んでおりました町に、「あさや」という酒屋がありました。
近くで酒を扱う店はここばかりでありまして、私、何につけても買い溜めるということが嫌いですから、毎日のようにこの店に通いました。
小さな商店で、店の親父と世間話をしながら買い物をする。
そんな生活風景に憧れる一方で、やはり便利さには勝てぬという現実があります。
近所には、他にも八百屋や魚屋、豆腐屋といったお店がありましたが、しかし、おおよその買い物は、家から歩いて1分の距離にある、大手のスーパーで事足りてしまっておりました。
ですから「あさや」は、私にとって、いわば強制的に味わわされる古き良き風情であり、歩いて15分掛かる面倒臭さも、なかなか覚えられない定休日に、自動販売機で買ったビールを何本もポケットにねじ込む厄介さも、さして気にはならなかったのでした。
ところが、しばらくして、このスーパーが酒を扱うと言い出しました。
新聞の折込広告に大々的に宣伝し、店の前には、「酒」と書かれた幟がパタパタ、なんだか周辺が、俄かに活気づいてきたようでした。
なんといっても家からすぐの距離ですから、また、年中無休、夜の10時まで営業しておりますから、私にとっては、これは間違いなく便利な変化でありました。
しかし、これを聞いてまず私が考えたのは、「あさや」はどうなるんだろう、ということでした。
ただでさえ、いつ行ってもガランとした店内に、埃のかぶった缶詰や、賞味期限の知れないチーカマなどが並べられている、大変頼りないお店です。
主な仕事は得意先への配達のようでしたが、それだって、割高な価格を考えれば、スーパーに流れる客も少なくはなかろうと思われます。
私、毎日酒を買いに行くといっても、店の主とは挨拶を交わす程度の関係で、実はそんなに親しい間柄ではありませんでしたが、なんだか急に、「あさや」の行く末が心配になってきたのでした。
そこで、「あさやを守る会」を発足しようと考えたのでした。
会の骨子は、酒は「あさや」で買いましょう。ただそれだけであります。
会長は私で、会員も私のみ、会費は勿論ございません。
雨が降っても雪が降っても、ただただ、酒は「あさや」で買いましょう。
ちょっとくらいの熱があっても、階段で転んで足をくじいても、誓ってスーパーの誘惑に負けてはなりません。
今日は疲れているから、と自分を甘やかせば、きっと、明日は面倒臭いから、と、なし崩しになっていくことは目に見えております。
「魔」というものは恐ろしいものでして、どこに潜んでいるか分かりません。
ほんの小さなほころびを、決して見逃してくれないのが、「魔」なのです。
あさやは60年配の夫婦が経営する店でして、この夫婦、私が「あさやを守る会」の会長であることは露ほどにも知りません。そもそも、そんな会が存在することすら想像もしていないでしょうが、なに、私も恩を売ることが目的ではありません。また、逆にあからさまになっては、何となく、私が困るのです。
そうして来る日も来る日も「あさや」に通い続けまして、数ヶ月が経ちました。
ある夕方、いつものように店に入ると、珍しく先客がありまして、レジのところで「あさや」夫婦と何やら立ち話をしておりました。
別に聞き耳を立てた訳ではありませんから、話の内容までは分かりませんでしたが、察するに、近所の馴染みのお客さんのようでした。
普段から愛想のいいおばちゃんは別として、いつもはしかめっ面をしている「あさや」親父までもが、声高らかに笑ったり、会話に絶妙な合いの手を入れたりして、それは如何にも平和で、楽しげな光景と目に映りました。
薄暗い店内で、アハハ、アハハ、と、その笑い声を聞いていおりますうちに、私、なんだか不思議な気持ちになってまいりました。あれ、と、おかしな違和感を覚え始めてまいりました。
なんだ?
「あさや」夫婦、結構楽しそうではないか。
あら?
スーパーに追い込まれて、大変なんじゃあなかったの?
事実は知らないけれど、
おばさんは、夜な夜な内職の針仕事をして、
おじさんは、配達の度に、得意先に下げたくもない頭を下げて、
そんな感じじゃあなかったの?
それが、あんなに楽しそうに・・。
私、この時、なんだか憑き物が落ちたようでした。
店を出て、ぼんやりと灯り始めた街灯に、自分の影が大きく落ちて、「あさや」夫婦の笑い声は、いつまでも耳に残って消えないようでした。
その晩、酒を飲んで、グルグルと回った頭でこんなことを考えました。
「あさやを守る会」は、結局、他ならぬ私自身のためにあったのではないか。
「守る会」と称しつつ、実は私は、「あさや」夫婦の悲嘆にくれる顔を期待していたのではなかったか。
またそれを、陰ながらに応援する自分の姿に憧れていただけではなかったのか。
その後、私は「あさやを守る会」を解散し、近所のスーパーで酒を買うことも珍しくはなくなったのでした。
近くで酒を扱う店はここばかりでありまして、私、何につけても買い溜めるということが嫌いですから、毎日のようにこの店に通いました。
小さな商店で、店の親父と世間話をしながら買い物をする。
そんな生活風景に憧れる一方で、やはり便利さには勝てぬという現実があります。
近所には、他にも八百屋や魚屋、豆腐屋といったお店がありましたが、しかし、おおよその買い物は、家から歩いて1分の距離にある、大手のスーパーで事足りてしまっておりました。
ですから「あさや」は、私にとって、いわば強制的に味わわされる古き良き風情であり、歩いて15分掛かる面倒臭さも、なかなか覚えられない定休日に、自動販売機で買ったビールを何本もポケットにねじ込む厄介さも、さして気にはならなかったのでした。
ところが、しばらくして、このスーパーが酒を扱うと言い出しました。
新聞の折込広告に大々的に宣伝し、店の前には、「酒」と書かれた幟がパタパタ、なんだか周辺が、俄かに活気づいてきたようでした。
なんといっても家からすぐの距離ですから、また、年中無休、夜の10時まで営業しておりますから、私にとっては、これは間違いなく便利な変化でありました。
しかし、これを聞いてまず私が考えたのは、「あさや」はどうなるんだろう、ということでした。
ただでさえ、いつ行ってもガランとした店内に、埃のかぶった缶詰や、賞味期限の知れないチーカマなどが並べられている、大変頼りないお店です。
主な仕事は得意先への配達のようでしたが、それだって、割高な価格を考えれば、スーパーに流れる客も少なくはなかろうと思われます。
私、毎日酒を買いに行くといっても、店の主とは挨拶を交わす程度の関係で、実はそんなに親しい間柄ではありませんでしたが、なんだか急に、「あさや」の行く末が心配になってきたのでした。
そこで、「あさやを守る会」を発足しようと考えたのでした。
会の骨子は、酒は「あさや」で買いましょう。ただそれだけであります。
会長は私で、会員も私のみ、会費は勿論ございません。
雨が降っても雪が降っても、ただただ、酒は「あさや」で買いましょう。
ちょっとくらいの熱があっても、階段で転んで足をくじいても、誓ってスーパーの誘惑に負けてはなりません。
今日は疲れているから、と自分を甘やかせば、きっと、明日は面倒臭いから、と、なし崩しになっていくことは目に見えております。
「魔」というものは恐ろしいものでして、どこに潜んでいるか分かりません。
ほんの小さなほころびを、決して見逃してくれないのが、「魔」なのです。
あさやは60年配の夫婦が経営する店でして、この夫婦、私が「あさやを守る会」の会長であることは露ほどにも知りません。そもそも、そんな会が存在することすら想像もしていないでしょうが、なに、私も恩を売ることが目的ではありません。また、逆にあからさまになっては、何となく、私が困るのです。
そうして来る日も来る日も「あさや」に通い続けまして、数ヶ月が経ちました。
ある夕方、いつものように店に入ると、珍しく先客がありまして、レジのところで「あさや」夫婦と何やら立ち話をしておりました。
別に聞き耳を立てた訳ではありませんから、話の内容までは分かりませんでしたが、察するに、近所の馴染みのお客さんのようでした。
普段から愛想のいいおばちゃんは別として、いつもはしかめっ面をしている「あさや」親父までもが、声高らかに笑ったり、会話に絶妙な合いの手を入れたりして、それは如何にも平和で、楽しげな光景と目に映りました。
薄暗い店内で、アハハ、アハハ、と、その笑い声を聞いていおりますうちに、私、なんだか不思議な気持ちになってまいりました。あれ、と、おかしな違和感を覚え始めてまいりました。
なんだ?
「あさや」夫婦、結構楽しそうではないか。
あら?
スーパーに追い込まれて、大変なんじゃあなかったの?
事実は知らないけれど、
おばさんは、夜な夜な内職の針仕事をして、
おじさんは、配達の度に、得意先に下げたくもない頭を下げて、
そんな感じじゃあなかったの?
それが、あんなに楽しそうに・・。
私、この時、なんだか憑き物が落ちたようでした。
店を出て、ぼんやりと灯り始めた街灯に、自分の影が大きく落ちて、「あさや」夫婦の笑い声は、いつまでも耳に残って消えないようでした。
その晩、酒を飲んで、グルグルと回った頭でこんなことを考えました。
「あさやを守る会」は、結局、他ならぬ私自身のためにあったのではないか。
「守る会」と称しつつ、実は私は、「あさや」夫婦の悲嘆にくれる顔を期待していたのではなかったか。
またそれを、陰ながらに応援する自分の姿に憧れていただけではなかったのか。
その後、私は「あさやを守る会」を解散し、近所のスーパーで酒を買うことも珍しくはなくなったのでした。
2007年10月01日
ヒロシ
最近また、オウム真理教に関する報道がテレビで流れていますね。
以前、都内に住んでおりました頃、すぐ近くにオウム真理教杉並事務所というのがありました。
時も時、ちょうどサリン事件の真っ只中でして、事務所の前にはいつでも数人の警官がものものしく
配備され、日によっては報道関係の人たちが、ワイワイガヤガヤとやっておりました。
この事務所、駅に向かう道すがらにありましたから、当時外で働いていた私は、嫌でも毎日その前を通りました。
ある晩、何処へ行く途中でしたか、自転車でいつものように事務所の前を通り過ぎると、突然、
びっくりする程の大きな声で、何者かが私を怒鳴りつけました。
「てめえ、電気点けろよぉう」
まるでヤクザが喧嘩でも売るような巻き舌で、私、これはてっきり警備に当たっている警官が、
無灯火の自転車で走る私を注意したのだと思いました。
そもそも私、おまわりは嫌いです。
なんとなくえらそうで、お役所的で、突き詰めればこれ、自分の嫌いな世界が確固たる権力を持っている、それが大いに気に食わぬのです。
ですから私、ついカッとなって、キキィーとブレーキを掛けまして、何なんだその言い方は、と、
振り向きざまに怒鳴り返してやりました。
ちょっと話がそれますが、以前、電車に乗り込む際に、私、大きな荷物をガラゴロと引いておりまして、その荷物がガターンとドアに挟まれてしまいました。
ドアはすぐに開きましたから、特別大事には至らなかったのですが、しかし、こういうお客の乗り降りをきちんと確認しない車掌に腹が立ってなりませんでした。
ですから私、再びドアが開いた途端、さっと荷物を引っ込めて、その代わりに顔を突き出し、後方の、車掌が覗いているであろう小窓をキッと睨みつけてやりました。
そうしたら、今度は額をガターンとやられまして、もう、今でもあの時のことを思い出すと、夜もオチオチ眠れません。
自分が敵対する者が、自分のレベルを明らかに超えた、絶対的な力を持っている。
これは、実に嫌なものです。
目の前にいたのは、制服姿の警官ではなく、背の小さい、サンダル履きの草臥れた、60くらいの
じいさんでした。
しかし、思い込みというのは大したものでして、普通に考えればどう見ても、小汚い、まっとうな暮らしをしているとはとても思えぬじいさんが、それでもしばらくの間は、場所も場所、無灯火を咎めたという関わりも関わり、私服の刑事か何かに思えてなりませんでした。
ところが、当のじいさんの様子はこうなのです。
「面白れぇ、チンピラァ」なんて平気で言います。
ちなみに私、人に面と向かってチンピラと呼ばれたのは、これが初めてです。
それから、「てめえのやってることは犯罪なんだよっ、人殺しと同じなんだよっ」
なんて無茶苦茶なことを口走ります。
挙句の果てには、大変下品な言葉で恐縮ですが、
「てめえの金玉、かっ裂いてやる」
なんて、恐ろしい言葉まで飛び出しまして、さすがに私、あれ、これは違うぞ、刑事なんかじゃあないぞ、と気づかされたのです。
こういう類の人とは、なるべく関わりを持たないほうが良いことは重々承知いたしておりますが、
しかし私も、普段言われ慣れない罵声を浴びて、そもそもは権力に対する義憤の炎であったはずが、なあに、メラメラといい調子に燃え盛ってくれば、もう何の炎だって構いません、何をこの野郎っ、
なんて大いに応戦してしまいました。
その内どういう話の流れでそうなったのか、じいさんが私を派出所に連行する、ということになりました。
無灯火の自転車で、頭のおかしなじいさんに捕まって、自分に一体どんな罰が下るのかは分かりませんが、どうせ大したことはなかろうと、私、望むところだ、なんて啖呵を切って、ふたり仲良く肩を並べて駅前の派出所に向かったのでした。
じいさんはこの道中、仕切りに後ろを振り返って、シュッ、とか、シャッとか、猫を追い払うような吃音を発し続けました。また、時々、
「ヒロシ、こっちだ。ヒロシ、こっちだ」
と、誰もいない暗がりに、何度も手を招いたりしておりました。
ぶつぶつと独り言を呟き続けるじいさんが、私、段々と、別の意味で怖くなってまいりまして、
極めつけに、じいさんが、突然寿司屋のドアをガララと開けて、
「おうい、110番しろぉ、こいつは犯罪者だっ」
と、大声を上げましたこれを機に、私、駄目だ、とても手に負えない、と、ようやく見切りをつけたのでした。
自転車にまたがり手を振って、ちりんちりん、とベルを数回鳴らして、一目散に逃げ出したのでした。
その後しばらくは、またあのじいさんに出会いはせぬかとやきもきとして過ごしましたが、ついぞ再び彼をを目撃することはありませんでした。
ヒロシ、ヒロシ、と言っていたのが気になって、もしかしたら、じいさんがおかしくなってしまったのは、ヒロシという子供をなくした、なんて経緯があったのかも知れない、そんなことを考えたりもいたしました。
そうであるならば、もう少し、優しく接してやればよかったなぁ、なんて、今更ながらに思います。
以前、都内に住んでおりました頃、すぐ近くにオウム真理教杉並事務所というのがありました。
時も時、ちょうどサリン事件の真っ只中でして、事務所の前にはいつでも数人の警官がものものしく
配備され、日によっては報道関係の人たちが、ワイワイガヤガヤとやっておりました。
この事務所、駅に向かう道すがらにありましたから、当時外で働いていた私は、嫌でも毎日その前を通りました。
ある晩、何処へ行く途中でしたか、自転車でいつものように事務所の前を通り過ぎると、突然、
びっくりする程の大きな声で、何者かが私を怒鳴りつけました。
「てめえ、電気点けろよぉう」
まるでヤクザが喧嘩でも売るような巻き舌で、私、これはてっきり警備に当たっている警官が、
無灯火の自転車で走る私を注意したのだと思いました。
そもそも私、おまわりは嫌いです。
なんとなくえらそうで、お役所的で、突き詰めればこれ、自分の嫌いな世界が確固たる権力を持っている、それが大いに気に食わぬのです。
ですから私、ついカッとなって、キキィーとブレーキを掛けまして、何なんだその言い方は、と、
振り向きざまに怒鳴り返してやりました。
ちょっと話がそれますが、以前、電車に乗り込む際に、私、大きな荷物をガラゴロと引いておりまして、その荷物がガターンとドアに挟まれてしまいました。
ドアはすぐに開きましたから、特別大事には至らなかったのですが、しかし、こういうお客の乗り降りをきちんと確認しない車掌に腹が立ってなりませんでした。
ですから私、再びドアが開いた途端、さっと荷物を引っ込めて、その代わりに顔を突き出し、後方の、車掌が覗いているであろう小窓をキッと睨みつけてやりました。
そうしたら、今度は額をガターンとやられまして、もう、今でもあの時のことを思い出すと、夜もオチオチ眠れません。
自分が敵対する者が、自分のレベルを明らかに超えた、絶対的な力を持っている。
これは、実に嫌なものです。
目の前にいたのは、制服姿の警官ではなく、背の小さい、サンダル履きの草臥れた、60くらいの
じいさんでした。
しかし、思い込みというのは大したものでして、普通に考えればどう見ても、小汚い、まっとうな暮らしをしているとはとても思えぬじいさんが、それでもしばらくの間は、場所も場所、無灯火を咎めたという関わりも関わり、私服の刑事か何かに思えてなりませんでした。
ところが、当のじいさんの様子はこうなのです。
「面白れぇ、チンピラァ」なんて平気で言います。
ちなみに私、人に面と向かってチンピラと呼ばれたのは、これが初めてです。
それから、「てめえのやってることは犯罪なんだよっ、人殺しと同じなんだよっ」
なんて無茶苦茶なことを口走ります。
挙句の果てには、大変下品な言葉で恐縮ですが、
「てめえの金玉、かっ裂いてやる」
なんて、恐ろしい言葉まで飛び出しまして、さすがに私、あれ、これは違うぞ、刑事なんかじゃあないぞ、と気づかされたのです。
こういう類の人とは、なるべく関わりを持たないほうが良いことは重々承知いたしておりますが、
しかし私も、普段言われ慣れない罵声を浴びて、そもそもは権力に対する義憤の炎であったはずが、なあに、メラメラといい調子に燃え盛ってくれば、もう何の炎だって構いません、何をこの野郎っ、
なんて大いに応戦してしまいました。
その内どういう話の流れでそうなったのか、じいさんが私を派出所に連行する、ということになりました。
無灯火の自転車で、頭のおかしなじいさんに捕まって、自分に一体どんな罰が下るのかは分かりませんが、どうせ大したことはなかろうと、私、望むところだ、なんて啖呵を切って、ふたり仲良く肩を並べて駅前の派出所に向かったのでした。
じいさんはこの道中、仕切りに後ろを振り返って、シュッ、とか、シャッとか、猫を追い払うような吃音を発し続けました。また、時々、
「ヒロシ、こっちだ。ヒロシ、こっちだ」
と、誰もいない暗がりに、何度も手を招いたりしておりました。
ぶつぶつと独り言を呟き続けるじいさんが、私、段々と、別の意味で怖くなってまいりまして、
極めつけに、じいさんが、突然寿司屋のドアをガララと開けて、
「おうい、110番しろぉ、こいつは犯罪者だっ」
と、大声を上げましたこれを機に、私、駄目だ、とても手に負えない、と、ようやく見切りをつけたのでした。
自転車にまたがり手を振って、ちりんちりん、とベルを数回鳴らして、一目散に逃げ出したのでした。
その後しばらくは、またあのじいさんに出会いはせぬかとやきもきとして過ごしましたが、ついぞ再び彼をを目撃することはありませんでした。
ヒロシ、ヒロシ、と言っていたのが気になって、もしかしたら、じいさんがおかしくなってしまったのは、ヒロシという子供をなくした、なんて経緯があったのかも知れない、そんなことを考えたりもいたしました。
そうであるならば、もう少し、優しく接してやればよかったなぁ、なんて、今更ながらに思います。
