2007年10月07日
牧水の旅
若山牧水という人をご存知ですか。
明治から大正を生きた歌人で、旅を愛し、酒を愛し、友を愛し、そうして勿論、歌を愛した人であります。一般に、彼の代表作と言えば、こんな歌があります。
幾山河 越えさり行かば 寂しさの はてなむ国ぞ 今日も旅ゆく
私、この歌、大好きです。
牧水は、実に旅人だなぁ、と思います。
これ、旅をするから旅人という意味ではなくて、彼の生き方そのものが、旅だなぁと思うのです。
寂しさの果て。
この寂しさは、つまり心の空洞だと思います。
何をしたって満たされない、ぽっかりと空いた空洞です。
金に困らず、温かい家庭もあり、何不自由ないそんな暮らしをしていても、どうしても埋まらぬ空洞というものがあります。
そんなものは俺にはないよ、と言われてしまえばそれまでですが、しかし、少なくとも、そういう空洞を感じて生きている人間はいるものです。
これを何で埋めようとするのかは、各人の自由です。
それは例えば、子供に愛情を注ぐことであったり、仕事に打ち込むことであったり、表現であったり、宗教であったり、はたまた、人によっては旅であったり、酒であったり。
ですから、牧水の旅は、ただあそこに行きたいから行った、というものではなくて、出掛けずにはいられないから出掛けた旅なのだと思います。
私も同じような類の人間ですから言えるのですが、こういう旅は、突き詰めれば、行き先は何処だって構わないのです。ただ、旅に出掛けるということが、とても、大事なことなのです。
幾つもの山河を越えたその先で、いずれは心が満たされる世界にも出会えるだろうか、
そんな、旅なのです。
牧水の歌に、こんな歌もあります。
今日もまた 心の鐘を打ち鳴らし 打ち鳴らしつつ あくがれてゆく
先の歌と同じようなものを感じて、やはりこれも、私の好きな歌のひとつであります。
牧水は、「朝2合昼2合夕方4合締めて1升」と、1日にそれだけの酒を飲んでいた人ですから、結局は、体を壊して43才の若さで亡くなりました。
やはり同じように酒が好きな私は、牧水の酒が、旅と等しく、なくてはならないものであったことがよく分かります。旅先で友を訪ね、酒を酌み交わすことに無量の喜びを感じた牧水が、とても身近な存在と思えてなりません。
春待ちて 夕べに遠く せみ時雨
これは、私の句であります。
春を待っていたはずが、いつの間にか、夏の夕暮れが訪れていた。
待ち焦がれたものが、目の前を過ぎ去ってしまったことに気がつきもしなかった。
また来年、再来年の春を待とう。
そんな意味の句であります。
人の人生って、人の暮らしって、何処かそういうところがあるような気がいたします。
明治から大正を生きた歌人で、旅を愛し、酒を愛し、友を愛し、そうして勿論、歌を愛した人であります。一般に、彼の代表作と言えば、こんな歌があります。
幾山河 越えさり行かば 寂しさの はてなむ国ぞ 今日も旅ゆく
私、この歌、大好きです。
牧水は、実に旅人だなぁ、と思います。
これ、旅をするから旅人という意味ではなくて、彼の生き方そのものが、旅だなぁと思うのです。
寂しさの果て。
この寂しさは、つまり心の空洞だと思います。
何をしたって満たされない、ぽっかりと空いた空洞です。
金に困らず、温かい家庭もあり、何不自由ないそんな暮らしをしていても、どうしても埋まらぬ空洞というものがあります。
そんなものは俺にはないよ、と言われてしまえばそれまでですが、しかし、少なくとも、そういう空洞を感じて生きている人間はいるものです。
これを何で埋めようとするのかは、各人の自由です。
それは例えば、子供に愛情を注ぐことであったり、仕事に打ち込むことであったり、表現であったり、宗教であったり、はたまた、人によっては旅であったり、酒であったり。
ですから、牧水の旅は、ただあそこに行きたいから行った、というものではなくて、出掛けずにはいられないから出掛けた旅なのだと思います。
私も同じような類の人間ですから言えるのですが、こういう旅は、突き詰めれば、行き先は何処だって構わないのです。ただ、旅に出掛けるということが、とても、大事なことなのです。
幾つもの山河を越えたその先で、いずれは心が満たされる世界にも出会えるだろうか、
そんな、旅なのです。
牧水の歌に、こんな歌もあります。
今日もまた 心の鐘を打ち鳴らし 打ち鳴らしつつ あくがれてゆく
先の歌と同じようなものを感じて、やはりこれも、私の好きな歌のひとつであります。
牧水は、「朝2合昼2合夕方4合締めて1升」と、1日にそれだけの酒を飲んでいた人ですから、結局は、体を壊して43才の若さで亡くなりました。
やはり同じように酒が好きな私は、牧水の酒が、旅と等しく、なくてはならないものであったことがよく分かります。旅先で友を訪ね、酒を酌み交わすことに無量の喜びを感じた牧水が、とても身近な存在と思えてなりません。
春待ちて 夕べに遠く せみ時雨
これは、私の句であります。
春を待っていたはずが、いつの間にか、夏の夕暮れが訪れていた。
待ち焦がれたものが、目の前を過ぎ去ってしまったことに気がつきもしなかった。
また来年、再来年の春を待とう。
そんな意味の句であります。
人の人生って、人の暮らしって、何処かそういうところがあるような気がいたします。
