2007年09月04日
車
車の免許を取って、20年になります。
取って早々、国道で無茶な割り込みをいたしまして、トラックに1kmくらい追いかけられました。
初心者にしては随分と巧みなハンドルさばきで、私、大いに逃げましたが、しかし結局は、ギュウギュウと幅寄せされて、降りてきたこわもての兄さんに、馬鹿野郎っ、と一喝されました。
以来、これがトラウマとなりまして、私、いっさい車の運転をいたしておりません。
アクセルとブレーキ、どっちがどっちのペダルだったか、そんなことさえ忘れてしまっておりました。
障害物も何もない、例えばモンゴルの大草原を走ってみろ、と言われれば、これは簡単なような気がいたします。
車の運転の何が難しいのかと考えますと、それは車の操作そのものではなく、やはり周りの状況との関わりが難しいのだと思います。
歩行者、車、自転車、バイク、こういった邪魔者がことごとくなく、車線も速度もやりたい放題、好き勝手に、心のままに運転できるなら、私、とっくに運転していたと思います。
ですから、モンゴルの大草原、これは楽勝だと思うのです。
それから、瞬時の判断力。
車の運転には、これが必要ですね。
例えば、仕事なんかで、急に予期せぬ状況となりまして、電話口で「どうしますか?」なんて尋ねられれると、私、いつでも非常に困惑します。
物事は、時間をかけて考えろ。
幼少の頃、父親にそう教わりまして、これを頑なに守ってきた訳ではありませんが、気がつけば、
いつの間にか、時間をかけずには何も考えられない人間になっておりました。
ですから、急に何かを答えろと言われれば、私、迷わず、いやだ、と答えます。
しかし、車線変更をする時に、どのタイミングでハンドルを切ろうか、ちょっとじっくりと考えてみたい、なんて言っても、誰も相手にしてくれませんよね。
道路の真ん中に車を停めて、まずはタバコに火をつけて、うーん、あの車の後がいいかなぁ、
なんて、指に唾をつけて、風の向きまで確かめたりして、やるからには随分と慎重です。
急いてはことを仕損じる。その一方で、善は急げ、なんていうんだから、難しい。
私みたいなタイプの人間は、そうやって、ゆっくりと思うように考えられない状況に陥ると、
得てして、自暴自棄となるものです。
考えさせてくれない世間が悪い、と開き直って、どうにでもなれ、とやけくそになります。
そこで、えいっ、とアクセルを踏んで、キキィー、と急ブレーキを踏ませ、馬鹿野郎っ、と怒鳴られます。これ、実際には大変危険ですから、出来れば、車の運転は控えたほうがよいのです。
ところが、この冬に赤ん坊が産まれることになりまして、最寄の町では産める病院がありませんから、車で1時間、ひと山越えた、隣の町の病院に掛かることになりました。
これまでは、運転はもっぱら妻の役割でして、出掛ければ必ずビールを引っ掛ける私には、大変うまい具合に出来ておりましたが、最近、段々と膨れてくるお腹を見ておりますと、そんな悠長なことも言っていられない気分になってきました。
何かあった時にタクシーを呼べるような環境でもありませんし、まさか、昔話じゃあないんですから、ぼた雪の降る中、身重の女房をおぶって山を越える訳にもいきません。
そこで私、いよいよ腹をくくって、モンゴルだなんだとおかしな大口を叩くのをやめ、運転の練習に、
重たい腰を上げたのでした。
取って早々、国道で無茶な割り込みをいたしまして、トラックに1kmくらい追いかけられました。
初心者にしては随分と巧みなハンドルさばきで、私、大いに逃げましたが、しかし結局は、ギュウギュウと幅寄せされて、降りてきたこわもての兄さんに、馬鹿野郎っ、と一喝されました。
以来、これがトラウマとなりまして、私、いっさい車の運転をいたしておりません。
アクセルとブレーキ、どっちがどっちのペダルだったか、そんなことさえ忘れてしまっておりました。
障害物も何もない、例えばモンゴルの大草原を走ってみろ、と言われれば、これは簡単なような気がいたします。
車の運転の何が難しいのかと考えますと、それは車の操作そのものではなく、やはり周りの状況との関わりが難しいのだと思います。
歩行者、車、自転車、バイク、こういった邪魔者がことごとくなく、車線も速度もやりたい放題、好き勝手に、心のままに運転できるなら、私、とっくに運転していたと思います。
ですから、モンゴルの大草原、これは楽勝だと思うのです。
それから、瞬時の判断力。
車の運転には、これが必要ですね。
例えば、仕事なんかで、急に予期せぬ状況となりまして、電話口で「どうしますか?」なんて尋ねられれると、私、いつでも非常に困惑します。
物事は、時間をかけて考えろ。
幼少の頃、父親にそう教わりまして、これを頑なに守ってきた訳ではありませんが、気がつけば、
いつの間にか、時間をかけずには何も考えられない人間になっておりました。
ですから、急に何かを答えろと言われれば、私、迷わず、いやだ、と答えます。
しかし、車線変更をする時に、どのタイミングでハンドルを切ろうか、ちょっとじっくりと考えてみたい、なんて言っても、誰も相手にしてくれませんよね。
道路の真ん中に車を停めて、まずはタバコに火をつけて、うーん、あの車の後がいいかなぁ、
なんて、指に唾をつけて、風の向きまで確かめたりして、やるからには随分と慎重です。
急いてはことを仕損じる。その一方で、善は急げ、なんていうんだから、難しい。
私みたいなタイプの人間は、そうやって、ゆっくりと思うように考えられない状況に陥ると、
得てして、自暴自棄となるものです。
考えさせてくれない世間が悪い、と開き直って、どうにでもなれ、とやけくそになります。
そこで、えいっ、とアクセルを踏んで、キキィー、と急ブレーキを踏ませ、馬鹿野郎っ、と怒鳴られます。これ、実際には大変危険ですから、出来れば、車の運転は控えたほうがよいのです。
ところが、この冬に赤ん坊が産まれることになりまして、最寄の町では産める病院がありませんから、車で1時間、ひと山越えた、隣の町の病院に掛かることになりました。
これまでは、運転はもっぱら妻の役割でして、出掛ければ必ずビールを引っ掛ける私には、大変うまい具合に出来ておりましたが、最近、段々と膨れてくるお腹を見ておりますと、そんな悠長なことも言っていられない気分になってきました。
何かあった時にタクシーを呼べるような環境でもありませんし、まさか、昔話じゃあないんですから、ぼた雪の降る中、身重の女房をおぶって山を越える訳にもいきません。
そこで私、いよいよ腹をくくって、モンゴルだなんだとおかしな大口を叩くのをやめ、運転の練習に、
重たい腰を上げたのでした。
