2007年08月31日
呼ばれる 清水寺
夏の京都。
いやあ、噂に違わず、暑かったです。
加えて、何処に行っても人また人。
今更言うまでもありませんが、京都って、大変な観光地なんですね。
テレビや雑誌では、なんだか癒しの場所のように宣伝されておりますが、そういえば新幹線の車内雑誌にも、「京都が、お疲れさまと言ってくれました」なんてコピーがありました。
ところが私、普段のほうがよっぽど静かな生活をしておりますから、大都会京都に行って、むしろ大変疲れて帰ってきました。
外国人の旅行者が京都に着いて、あれっ、という顔をするそうです。
祇園のような佇まいに、舞妓さんがウロウロとして、夕暮れ時、遠くにゴーンと鐘が鳴る。
そんなイメージを想い描いて、駅前の、灰色のビルが建ち並ぶ光景を目にすると、えっ、となるのだそうです。
まあ、京都だって、現代人が普通に生活している街ですから、その辺は仕方がないかなと思います。しかし、そこは譲っても、やはり日本の文化を代表する古都・京都、東京や大坂、名古屋辺りの大都市とはどこか違っていて欲しい、そんな風に感じることがいくらかありました。
例えば、レストランで。
狭い店内にこれでもかと席を作って、肘もつけぬような小さなテーブルで飯を食わせます。
鴨川沿いの川床で酒を飲む。
安っぽいすだれを垂らしたなんてことない店が、川床というそれだけで、席料とお通し料をしっかり取ります。これが、1人1,000円近くも取るんですよ。
私、友人と4人で飲みに行きまして、座っただけで4,000円。まったく、キャバレーかと思いました。
ホテルでプシュッと缶ビールを開ける。
値段もなにも確かめませんで、グビグビ飲んだら、これがなんと800円。
350mlの、その辺で買えば200円のビールがですよ。まったくもって、キャバレーか、です。
私、すでに2本も開けてしまっておりました。
こういうことって、全国何処に行っても、都会であれば尚更、よくあることですよね。
しかし、何が面白くないかというと、とどのつまりは、何でも金もうけ、貧乏臭いその価値観が面白くないのです。
幅60cmのテーブルを90cmに出来ない理由は、やはり、それだけお客を入れて、回転もよくさせて、という商売上の都合です。決して、もてなしを第一に考えたものではありませんよね。
これは、都会であれば、人が沢山集まるところであれば、それから今の市場主義を考えれば、当たり前のことなのかも知れません。
しかし、何処も彼処もが、みんな同じ進み方をしているようで、まったく寂しい限りと思うのです。
ここは東京じゃあないんだよ。
鳴くよ鶯、平安京。
せめて京都ばかりは、もっと、はんなりとしていておくれ。
清水寺に着いて早々、ははあ、これに呼ばれたな、と、我々夫婦、合点いたしました。
清水寺の敷地内、その外れに、泰産寺という安産祈願のお寺があったのです。
子安の塔という仏塔までありました。
境内を巡る順路から、ちょっと外れて階段を上るだけなのですが、この泰産寺、ひどく寂れておりまして、人っ子ひとりおりませんでした。
よほど来る人が少ないのか、お堂の扉には鍵がかけられて、どんな仏様が祀られているのかも分かりませんでした。
それでも、閉ざされた扉の前で手を合わせ、産まれて来る子供の無事を、静かに祈ってまいりました。
見上げた子安の塔は、夏の強い日差しに、木立が色濃く影を落として、ジージーと鳴く蝉の音に、
辺りの静けさが余計際立つようでした。
ビールが800円だっていいじゃないか。
そんな気持ちに、させられました。
いやあ、噂に違わず、暑かったです。
加えて、何処に行っても人また人。
今更言うまでもありませんが、京都って、大変な観光地なんですね。
テレビや雑誌では、なんだか癒しの場所のように宣伝されておりますが、そういえば新幹線の車内雑誌にも、「京都が、お疲れさまと言ってくれました」なんてコピーがありました。
ところが私、普段のほうがよっぽど静かな生活をしておりますから、大都会京都に行って、むしろ大変疲れて帰ってきました。
外国人の旅行者が京都に着いて、あれっ、という顔をするそうです。
祇園のような佇まいに、舞妓さんがウロウロとして、夕暮れ時、遠くにゴーンと鐘が鳴る。
そんなイメージを想い描いて、駅前の、灰色のビルが建ち並ぶ光景を目にすると、えっ、となるのだそうです。
まあ、京都だって、現代人が普通に生活している街ですから、その辺は仕方がないかなと思います。しかし、そこは譲っても、やはり日本の文化を代表する古都・京都、東京や大坂、名古屋辺りの大都市とはどこか違っていて欲しい、そんな風に感じることがいくらかありました。
例えば、レストランで。
狭い店内にこれでもかと席を作って、肘もつけぬような小さなテーブルで飯を食わせます。
鴨川沿いの川床で酒を飲む。
安っぽいすだれを垂らしたなんてことない店が、川床というそれだけで、席料とお通し料をしっかり取ります。これが、1人1,000円近くも取るんですよ。
私、友人と4人で飲みに行きまして、座っただけで4,000円。まったく、キャバレーかと思いました。
ホテルでプシュッと缶ビールを開ける。
値段もなにも確かめませんで、グビグビ飲んだら、これがなんと800円。
350mlの、その辺で買えば200円のビールがですよ。まったくもって、キャバレーか、です。
私、すでに2本も開けてしまっておりました。
こういうことって、全国何処に行っても、都会であれば尚更、よくあることですよね。
しかし、何が面白くないかというと、とどのつまりは、何でも金もうけ、貧乏臭いその価値観が面白くないのです。
幅60cmのテーブルを90cmに出来ない理由は、やはり、それだけお客を入れて、回転もよくさせて、という商売上の都合です。決して、もてなしを第一に考えたものではありませんよね。
これは、都会であれば、人が沢山集まるところであれば、それから今の市場主義を考えれば、当たり前のことなのかも知れません。
しかし、何処も彼処もが、みんな同じ進み方をしているようで、まったく寂しい限りと思うのです。
ここは東京じゃあないんだよ。
鳴くよ鶯、平安京。
せめて京都ばかりは、もっと、はんなりとしていておくれ。
清水寺に着いて早々、ははあ、これに呼ばれたな、と、我々夫婦、合点いたしました。
清水寺の敷地内、その外れに、泰産寺という安産祈願のお寺があったのです。
子安の塔という仏塔までありました。
境内を巡る順路から、ちょっと外れて階段を上るだけなのですが、この泰産寺、ひどく寂れておりまして、人っ子ひとりおりませんでした。
よほど来る人が少ないのか、お堂の扉には鍵がかけられて、どんな仏様が祀られているのかも分かりませんでした。
それでも、閉ざされた扉の前で手を合わせ、産まれて来る子供の無事を、静かに祈ってまいりました。
見上げた子安の塔は、夏の強い日差しに、木立が色濃く影を落として、ジージーと鳴く蝉の音に、
辺りの静けさが余計際立つようでした。
ビールが800円だっていいじゃないか。
そんな気持ちに、させられました。
2007年08月28日
呼ばれる インド
京都に行っておりました。
京都は、数年前に友人を訪ねて行った以来です。
この時はまるっきりの案内旅行でして、滞在した数日間、朝から晩までお酒を飲んで、車に乗せられ実に色々なところを連れ回されました。
あれを見ろと言われればあれを見て、これを食えと言われればこれを食い、なんだか終始ふにゃふにゃとして、その実、何処に行き何を食ったのか、ほとんど覚えておりません。
中学校の修学旅行以来だという私に、てんこ盛りの京都を見せてくれようと、張り切り過ぎた友人の誠意が仇となった格好でした。
今年の春、ひと月ばかりインドに行っておりました。
私、インドはとても好きな国でして、ひと頃はやけに頻繁に訪れたものですが、時の経つのは早いものです、最後にインドの地を発って、気がつけば実に6年の歳月が流れておりました。
私の妻は、私と出会うまでは、旅行といえばハワイやグァム。アジアあたりの安宿で、天井でカタカタとぬるい空気をかき混ぜる扇風機、そんな世界とはまったく無縁の人間でした。
なんといっても汚いのが駄目ですから、何処で仕入れた情報か、インドは息をするだけでも病気になる、なんてことを平気で言っておりました。
それでも、騙し騙しに色々な国へ連れて行きまして、しかし、インドにだけは絶対行きたくない、と、これは私、念を押されておりました。
彼女と付き合い始めて6年になりますから、これがすなわち、私のインド空白の期間でありました。
ところが今年の頭、どういう訳ですか突然、彼女が、インドに呼ばれている、と言い出しました。
ちなみにこれ、首が変な方向にねじれて、緑色の汁を吐きながら言ったわけではありませんよ。
別に、宗教やオカルトがかった話ではないのです。
そもそも私の妻は、ハローキティーが大好きで、お菓子を食べながらテレビを見るのが一番の幸せ、という人間です。
しかし、そんな彼女がことあるごとに、インドが呼んでいる、インドが呼んでいる、と言うのです。
そんなに呼ばれているのなら、望むところだ、是が非でも行こうではないか、という訳で、行ってまいりました。
で、呼ばれて出掛けたその結果、彼女はインドがまるっきり駄目でした。
暑さと、人の多さと、汚さと、まあ、予想出来たことではありますが、完全にノックアウトされてしまいました。
お終いには、果物以外は何も食べられなくなってしまい、また、インド人って好奇心を隠すことがありませんから、何処へ行ってもジロジロと注がれる露骨な視線に、私の妻、憎しみをこめたメンチを切り返したりしておりました。
予定を早めて、ほうほうの体、シンガポールに逃げ出したほどでありました。
ところが、帰って来て、大きな変化が起こったのです。
なんと、子供が宿っていたのです。
結婚して4年になりますから、遅い方だとは思いますが、この間も、どうして出来ないのだろう、と悩んでおりました。
もしかしたら、子供は出来ないのかな、と、実は諦めかけてもおりました。
そこに、子供が、宿ったのです。
日数を数えると、これが、インドで宿った子なのです。
たまたまなのか、それとも、インドの生活、気候や食生活の変化、そういったもののお陰なのか、その実は分かりません。
しかし、呼ばれて出掛けていったからだろう、そう思うのが一番のような気がいたしまして、我々夫婦、まじめにそう考えております。
しつこいようですが、これ、白目を剥いて、口から変な煙を出しながら考えているのではありませんよ。
なにか、大きな流れや大きな力の中で生きている、そう思うことが、最近、心地よく感じるのです。
で、京都。
先月辺りから妻が、今度は清水寺に呼ばれていると言い出しまして、それでは行こうではないか、と行ってまいりました。
京都は、数年前に友人を訪ねて行った以来です。
この時はまるっきりの案内旅行でして、滞在した数日間、朝から晩までお酒を飲んで、車に乗せられ実に色々なところを連れ回されました。
あれを見ろと言われればあれを見て、これを食えと言われればこれを食い、なんだか終始ふにゃふにゃとして、その実、何処に行き何を食ったのか、ほとんど覚えておりません。
中学校の修学旅行以来だという私に、てんこ盛りの京都を見せてくれようと、張り切り過ぎた友人の誠意が仇となった格好でした。
今年の春、ひと月ばかりインドに行っておりました。
私、インドはとても好きな国でして、ひと頃はやけに頻繁に訪れたものですが、時の経つのは早いものです、最後にインドの地を発って、気がつけば実に6年の歳月が流れておりました。
私の妻は、私と出会うまでは、旅行といえばハワイやグァム。アジアあたりの安宿で、天井でカタカタとぬるい空気をかき混ぜる扇風機、そんな世界とはまったく無縁の人間でした。
なんといっても汚いのが駄目ですから、何処で仕入れた情報か、インドは息をするだけでも病気になる、なんてことを平気で言っておりました。
それでも、騙し騙しに色々な国へ連れて行きまして、しかし、インドにだけは絶対行きたくない、と、これは私、念を押されておりました。
彼女と付き合い始めて6年になりますから、これがすなわち、私のインド空白の期間でありました。
ところが今年の頭、どういう訳ですか突然、彼女が、インドに呼ばれている、と言い出しました。
ちなみにこれ、首が変な方向にねじれて、緑色の汁を吐きながら言ったわけではありませんよ。
別に、宗教やオカルトがかった話ではないのです。
そもそも私の妻は、ハローキティーが大好きで、お菓子を食べながらテレビを見るのが一番の幸せ、という人間です。
しかし、そんな彼女がことあるごとに、インドが呼んでいる、インドが呼んでいる、と言うのです。
そんなに呼ばれているのなら、望むところだ、是が非でも行こうではないか、という訳で、行ってまいりました。
で、呼ばれて出掛けたその結果、彼女はインドがまるっきり駄目でした。
暑さと、人の多さと、汚さと、まあ、予想出来たことではありますが、完全にノックアウトされてしまいました。
お終いには、果物以外は何も食べられなくなってしまい、また、インド人って好奇心を隠すことがありませんから、何処へ行ってもジロジロと注がれる露骨な視線に、私の妻、憎しみをこめたメンチを切り返したりしておりました。
予定を早めて、ほうほうの体、シンガポールに逃げ出したほどでありました。
ところが、帰って来て、大きな変化が起こったのです。
なんと、子供が宿っていたのです。
結婚して4年になりますから、遅い方だとは思いますが、この間も、どうして出来ないのだろう、と悩んでおりました。
もしかしたら、子供は出来ないのかな、と、実は諦めかけてもおりました。
そこに、子供が、宿ったのです。
日数を数えると、これが、インドで宿った子なのです。
たまたまなのか、それとも、インドの生活、気候や食生活の変化、そういったもののお陰なのか、その実は分かりません。
しかし、呼ばれて出掛けていったからだろう、そう思うのが一番のような気がいたしまして、我々夫婦、まじめにそう考えております。
しつこいようですが、これ、白目を剥いて、口から変な煙を出しながら考えているのではありませんよ。
なにか、大きな流れや大きな力の中で生きている、そう思うことが、最近、心地よく感じるのです。
で、京都。
先月辺りから妻が、今度は清水寺に呼ばれていると言い出しまして、それでは行こうではないか、と行ってまいりました。
2007年08月17日
床屋
随分と昔の話、中国の昆明という町でパーマをかけました。
パーマネントという言葉は通じたのですが、あとはさっぱり駄目でして、仕方がないから私、帳面に「柔」とか「弱」なんて漢字を書いて見せました。
ふわりと洒落た、ソフトパーマをかけたかったのです。
一応了解したという雰囲気で作業が始まりまして、なんだか近未来の拷問を連想させる、電気コードが何本もついた布の袋をかぶせられました。
20分も30分もこれをかぶっておりますと、その内、耐えられないくらいに頭が熱くなってまいります。熱い熱いと訴えますと、ごにょごにょと何を言うのか、向こうはちっとも慌てた素振りを見せません。
ようやくこれを外してもらって、水のシャワーで頭を洗い、いやあ、これが実に気持ちよかったです。そうして面を上げまして、鏡に映った自分の顔に、私、愕然といたしました。
ぎゅっと、黒々と、頭にびっしりと海草が張り付いたような、俗に言う、大仏パーマだったのです。
愕然として、私、それからすぐに、噴出してしまいました。
人間って、あまりに予期せぬ出来事に遭遇すると、笑ってしまうものなのかも知れません。
インドの田舎で床屋に行きまして、この頃は坊主のような髪型でしたので、何も難しいことはありませんでしたが、これがちょっと変わった床屋でした。
チョキチョキと大きな鋏を軽快に操って、ものの10分程度で終わったのですが、この間、店の親父はちっともその立ち位置を変えないのです。
つまり、初めは勿論、鏡を正面に座らせられるのですが、後ろを切り終わって横を切る際には、クルリと椅子を回転させて、私が横を向くんです。
真っ昼間の、白っ茶けた通りを行き交う人々がぼんやりと眺められました。
前を切るときには更にクルリと、親父の突き出た腹と向かい合います。
これでは何のために鏡があるのか分かりません。
最後の微調整にいたっては、クルクルクルクル、好きなように回されて、私、なす術もありませんでした。
日本では、滅多なことがない限り床屋には行きません。美容室も然りです。
面倒臭いから、というのが第一の理由ですが、人前に出る仕事でもありませんから、際立っておかしな髪型をしていなければ、それでよいのだと思っております。
自分で切るようになって随分と経ちますから、その分、腕も上達しているような気がいたします。
美容室のもっともいけないところは、あの髪の毛を洗う時の体勢です。
上を向いて、鼻と口にガーゼのようなものを当てられて、あれ、私、本当に苦痛です。
もともと、狭いところや息苦しいことが体質的に駄目ですから、あのガーゼをかけられると、息が出来ないような気がして、胸がドキドキとしてまいります。
必要以上に呼吸の回数が増えまして、しかし、あんまりフハフハやるのもおかしいですから、殊、美容室って女の子が髪を洗ってくれることが多いですし、一体どう思われるか分かりません。
若い子に髪の毛を洗ってもらって興奮している変質者、そんな風にとられたら、これはとんでもない濡れ衣です。
電車に駆け足で飛び乗って、あんまりハアハアしてしまって、みっともないから車両を変える。
これと同じ道理でして、自分にはきちっとした理由があるのだけれど、それを知らない傍目には、おかしな人間と映りかねない。まったく気をつけなければいけません。
床屋で髭を剃るときに、蒸しタオルを口の周りに当てますね。あれも、私、苦手です。
自分で髪を切る。
これはこれで、新聞紙を敷いたり首に手拭を巻いたり、その準備や片付けが結構面倒臭いものです。
面倒臭いなぁ、と思っている内に、半年経ってしまいまして、伸ばしていたというよりも、放っておいたら随分と髪の毛が伸びてしまいました。
身内や友人、近所のおばちゃんにまでむさ苦しい、と言われ始めて、確かにむさ苦しいなぁ、と自分でもようやく思いまして、一昨日、ばっさりと短くいたしました。
なにせこの猛暑のさなかです。
実にさっぱりといたしました。髪を切るってこんなに素敵なことなのか、と改めて感じました。
夏の空が、一段と、青さを増したような気がいたします。
この快楽、半年のむさ苦しい日々があってのお陰です。
快楽とは、不快から飛び出た拍子に生まれるものでして、この不快が大きければ大きいほど、その反動も大きいといった寸法です。
ですからこの不快を、いかに暖かく大事に育ててやれるか、それが、快楽を生きるコツなのだと思います。
パーマネントという言葉は通じたのですが、あとはさっぱり駄目でして、仕方がないから私、帳面に「柔」とか「弱」なんて漢字を書いて見せました。
ふわりと洒落た、ソフトパーマをかけたかったのです。
一応了解したという雰囲気で作業が始まりまして、なんだか近未来の拷問を連想させる、電気コードが何本もついた布の袋をかぶせられました。
20分も30分もこれをかぶっておりますと、その内、耐えられないくらいに頭が熱くなってまいります。熱い熱いと訴えますと、ごにょごにょと何を言うのか、向こうはちっとも慌てた素振りを見せません。
ようやくこれを外してもらって、水のシャワーで頭を洗い、いやあ、これが実に気持ちよかったです。そうして面を上げまして、鏡に映った自分の顔に、私、愕然といたしました。
ぎゅっと、黒々と、頭にびっしりと海草が張り付いたような、俗に言う、大仏パーマだったのです。
愕然として、私、それからすぐに、噴出してしまいました。
人間って、あまりに予期せぬ出来事に遭遇すると、笑ってしまうものなのかも知れません。
インドの田舎で床屋に行きまして、この頃は坊主のような髪型でしたので、何も難しいことはありませんでしたが、これがちょっと変わった床屋でした。
チョキチョキと大きな鋏を軽快に操って、ものの10分程度で終わったのですが、この間、店の親父はちっともその立ち位置を変えないのです。
つまり、初めは勿論、鏡を正面に座らせられるのですが、後ろを切り終わって横を切る際には、クルリと椅子を回転させて、私が横を向くんです。
真っ昼間の、白っ茶けた通りを行き交う人々がぼんやりと眺められました。
前を切るときには更にクルリと、親父の突き出た腹と向かい合います。
これでは何のために鏡があるのか分かりません。
最後の微調整にいたっては、クルクルクルクル、好きなように回されて、私、なす術もありませんでした。
日本では、滅多なことがない限り床屋には行きません。美容室も然りです。
面倒臭いから、というのが第一の理由ですが、人前に出る仕事でもありませんから、際立っておかしな髪型をしていなければ、それでよいのだと思っております。
自分で切るようになって随分と経ちますから、その分、腕も上達しているような気がいたします。
美容室のもっともいけないところは、あの髪の毛を洗う時の体勢です。
上を向いて、鼻と口にガーゼのようなものを当てられて、あれ、私、本当に苦痛です。
もともと、狭いところや息苦しいことが体質的に駄目ですから、あのガーゼをかけられると、息が出来ないような気がして、胸がドキドキとしてまいります。
必要以上に呼吸の回数が増えまして、しかし、あんまりフハフハやるのもおかしいですから、殊、美容室って女の子が髪を洗ってくれることが多いですし、一体どう思われるか分かりません。
若い子に髪の毛を洗ってもらって興奮している変質者、そんな風にとられたら、これはとんでもない濡れ衣です。
電車に駆け足で飛び乗って、あんまりハアハアしてしまって、みっともないから車両を変える。
これと同じ道理でして、自分にはきちっとした理由があるのだけれど、それを知らない傍目には、おかしな人間と映りかねない。まったく気をつけなければいけません。
床屋で髭を剃るときに、蒸しタオルを口の周りに当てますね。あれも、私、苦手です。
自分で髪を切る。
これはこれで、新聞紙を敷いたり首に手拭を巻いたり、その準備や片付けが結構面倒臭いものです。
面倒臭いなぁ、と思っている内に、半年経ってしまいまして、伸ばしていたというよりも、放っておいたら随分と髪の毛が伸びてしまいました。
身内や友人、近所のおばちゃんにまでむさ苦しい、と言われ始めて、確かにむさ苦しいなぁ、と自分でもようやく思いまして、一昨日、ばっさりと短くいたしました。
なにせこの猛暑のさなかです。
実にさっぱりといたしました。髪を切るってこんなに素敵なことなのか、と改めて感じました。
夏の空が、一段と、青さを増したような気がいたします。
この快楽、半年のむさ苦しい日々があってのお陰です。
快楽とは、不快から飛び出た拍子に生まれるものでして、この不快が大きければ大きいほど、その反動も大きいといった寸法です。
ですからこの不快を、いかに暖かく大事に育ててやれるか、それが、快楽を生きるコツなのだと思います。
2007年08月14日
流れ星
流れ星を見ましたか?
一昨日が、ペルセウス座流星群のピークだったそうでして、私、前々から気にはしておりましたが、すっかりこれを忘れておりました。
はっ、と思い出したのが昨夜でして、慌てても仕方ないのですけれど、慌てて表に飛び出しました。
なんとも、綺麗な星空でした。
しかし、方角が分かっておりませんから、キョロキョロと阿呆のように口を開けて、その内に、すぅーとひとつ、流れ星が流れました。
ピークの1週間前後は流れるといいますから、今夜辺りも、運が良ければ見られるかも知れません。
一時期、流れ星が大好きだった頃がありまして、流星群が来るとなると、寝袋を持って徹夜で観察をいたしました。
明け方の、茜色に染まった空を、ぼっと燃えて流れた巨大な流れ星、今でもはっきりと思い出すことが出来ます。
流れ星の醍醐味は、いつ、何処に落ちるか分からない、あっ、と思うと消えてしまう、そんな儚さなのだと思います。
ですからこれを出来るだけ見逃さないように、私の友人が編み出した方法をお教えします。
まず、横になります。それから、扇風機のように、首を左右にゆっくりと振り続けます。
これだけでは勿論駄目でして、この時、目玉を首とは逆に動かします。
つまり、右を向いている時は、横目で左を見て、左を向いている時はその反対、右を見ます。
なるべくうつろな感じで、焦点を絞らないほうがよいそうでして、事実この人、随分と長い時間、これを繰り返しておりました。
なんだか壊れてしまった人間を見るようで、これでよだれでも垂らしていれば、間違いなく病院行きです。
インドのカシミール、ここはまさに別天地とも言うべきところです。
深い山々に囲まれた美しい湖、この湖にハウスボートと呼ばれる宿が浮いております。
宿といっても、部屋がひとつしかないような小さな船で、私、この船に3週間ばかり滞在したことがあります。
陸とは完全に隔離されていますから、運動といえば、船の中を歩くくらいか、たまに湖で泳ぐくらい、もっとも冬になれば、湖が凍って陸地までスケートで行くことも出来るそうです。
ですから、久し振りに陸に上がったときには、足の筋肉が明らかに衰えているのを感じました。
このボートの屋根に横たわって、毎夜眺めたカシミールの星空、空気が澄んで、怖ろしいくらいに綺麗でした。
星ってこんなにあるものかと、息を呑むようでした。
まるで黒い天幕に、針で小さな穴を無数に開けたかのようでした。
その星々の合間を縫うように、下から上に、一定の速度で動く小さな光があります。
一瞬、ドキッ、といたしましたが、宿の親父は、ロケットだと笑いました。
人工衛星が見えるんです。
そうかと思いきや、また別の方角に、今度はジグザグと、Zの字を描くような不思議な光を目撃しました。
あれは何なのだと尋ねますと、さすがの親父も、分からない、と真剣な顔をしました。
あれ、UFOではなかったかなぁ。
以来、夜空を眺めるたびに、不思議な光が見えないものかと期待しますが、ついぞ今日まで、再びあの光を目撃することはありません。
しかし、そんな時に限って、すぅーと静かに、星が流れるのです。
流れ星って、実は毎日流れているのだそうですね。
一昨日が、ペルセウス座流星群のピークだったそうでして、私、前々から気にはしておりましたが、すっかりこれを忘れておりました。
はっ、と思い出したのが昨夜でして、慌てても仕方ないのですけれど、慌てて表に飛び出しました。
なんとも、綺麗な星空でした。
しかし、方角が分かっておりませんから、キョロキョロと阿呆のように口を開けて、その内に、すぅーとひとつ、流れ星が流れました。
ピークの1週間前後は流れるといいますから、今夜辺りも、運が良ければ見られるかも知れません。
一時期、流れ星が大好きだった頃がありまして、流星群が来るとなると、寝袋を持って徹夜で観察をいたしました。
明け方の、茜色に染まった空を、ぼっと燃えて流れた巨大な流れ星、今でもはっきりと思い出すことが出来ます。
流れ星の醍醐味は、いつ、何処に落ちるか分からない、あっ、と思うと消えてしまう、そんな儚さなのだと思います。
ですからこれを出来るだけ見逃さないように、私の友人が編み出した方法をお教えします。
まず、横になります。それから、扇風機のように、首を左右にゆっくりと振り続けます。
これだけでは勿論駄目でして、この時、目玉を首とは逆に動かします。
つまり、右を向いている時は、横目で左を見て、左を向いている時はその反対、右を見ます。
なるべくうつろな感じで、焦点を絞らないほうがよいそうでして、事実この人、随分と長い時間、これを繰り返しておりました。
なんだか壊れてしまった人間を見るようで、これでよだれでも垂らしていれば、間違いなく病院行きです。
インドのカシミール、ここはまさに別天地とも言うべきところです。
深い山々に囲まれた美しい湖、この湖にハウスボートと呼ばれる宿が浮いております。
宿といっても、部屋がひとつしかないような小さな船で、私、この船に3週間ばかり滞在したことがあります。
陸とは完全に隔離されていますから、運動といえば、船の中を歩くくらいか、たまに湖で泳ぐくらい、もっとも冬になれば、湖が凍って陸地までスケートで行くことも出来るそうです。
ですから、久し振りに陸に上がったときには、足の筋肉が明らかに衰えているのを感じました。
このボートの屋根に横たわって、毎夜眺めたカシミールの星空、空気が澄んで、怖ろしいくらいに綺麗でした。
星ってこんなにあるものかと、息を呑むようでした。
まるで黒い天幕に、針で小さな穴を無数に開けたかのようでした。
その星々の合間を縫うように、下から上に、一定の速度で動く小さな光があります。
一瞬、ドキッ、といたしましたが、宿の親父は、ロケットだと笑いました。
人工衛星が見えるんです。
そうかと思いきや、また別の方角に、今度はジグザグと、Zの字を描くような不思議な光を目撃しました。
あれは何なのだと尋ねますと、さすがの親父も、分からない、と真剣な顔をしました。
あれ、UFOではなかったかなぁ。
以来、夜空を眺めるたびに、不思議な光が見えないものかと期待しますが、ついぞ今日まで、再びあの光を目撃することはありません。
しかし、そんな時に限って、すぅーと静かに、星が流れるのです。
流れ星って、実は毎日流れているのだそうですね。
2007年08月07日
蟹を飼う
皆さんは、蟹を飼ったことがありますか?
私は、ありません。
しかし、蟹を飼っていた人は知っております。
随分と昔のことになりますが、私、上野のアメヤ横丁で5年ばかり働いておりました。
盛んに旅をしていた頃のことですから、幾らかの金が貯まっては旅に出て、失くなってはまた仕事に戻り、そんな繰り返しをしておりました。
ですから、5年と言ってもこれは足掛けのことでして、正味、働いていたのは2年くらいであったと思います。
ガート下の果物屋で、一本百円、カットフルーツの、パイナップルの頭をひたすらもいでおりました。
この店に、カッチャンというおじさんがおりました。
このおじさん、お酒が大好きでした。
アルコール中毒で、体を壊してしばらく入院していたほどです。
事実、私が初めてカッチャンと会ったのは、その店に出入りし始めて、3年くらい後のことでした。
タイムカードには名前があるけれど、一体誰だろう?というのが、カッチャンでした。
カッチャンは、本当に、牛乳瓶の底のような眼鏡をかけていて、その眼鏡のせいで、目玉がとても大きく見えます。
いがぐり頭のずんぐりむっくりで、しかし、その売り声は極めて陽気なのでした。
「いらっちゃい、いらっちゃい」なんて言います。
これも後々知ったことなのですが、カッチャンのこの陽気な性格は、朝から常に酒を飲んでいるからだったのです。
ある時、病院の検査で、2日3日お酒を抜かねばならず、この時のカッチャン、まるで別人でした。
ドヨーンと、下ばかり向いておりました。
で、この検査の結果が、よくなかったんですね。
カッチャン、なにせ体に何かの管が入っているような人ですから、お酒は絶対にご法度です。
カッチャンが蟹を飼い始めたのは、それから2週間ばかり経ってのことでした。
ある日、カッチャンがホースを引っ張り出してきまして、ジャバジャバと、自分のズック靴を洗い始めました。
昼日中の、勿論、店の中でのことですから、どうしたの?カッチャン、と尋ねますと、カッチャン、靴が泥だらけだ、と言うんです。
カッチャンは、年の割には可愛い白いズック靴を履いておりまして、これ、どう見ても泥になんかは汚れておりません。
一体どうしたことだろうと見ておりますと、カッチャン、今度は靴の中を手でほじくり始めました。
カッチャン、靴の中に蟹を飼っていると、言うんです。
その後のカッチャンは、どんどんとおかしくなり始めまして、その内、店の棚の中にお客さんが隠れている、なんてことまで言い出しました。
突然領収書を書き始めては、いるはずもないお客さんを探して、電柱の影を覗いたりします。
私、さすがに、ゾッとしました。
カッチャンは、営業中に倒れて、そのままクビとなってしまいました。
この店に、20年以上も勤めたのだといいます。
店長も、人情があったのだと、思います。
カッチャンが倒れた時に踏み潰した赤い苺、私、今でも時折思い出します。
そんなカッチャンでしたが、閉店後、最後に道路の掃除をするのですが、その竹箒の使い方、しゅうう、しゅうう、と力なく、とても優しくて、私、その音を聞くのが大好きでありました。
私は、ありません。
しかし、蟹を飼っていた人は知っております。
随分と昔のことになりますが、私、上野のアメヤ横丁で5年ばかり働いておりました。
盛んに旅をしていた頃のことですから、幾らかの金が貯まっては旅に出て、失くなってはまた仕事に戻り、そんな繰り返しをしておりました。
ですから、5年と言ってもこれは足掛けのことでして、正味、働いていたのは2年くらいであったと思います。
ガート下の果物屋で、一本百円、カットフルーツの、パイナップルの頭をひたすらもいでおりました。
この店に、カッチャンというおじさんがおりました。
このおじさん、お酒が大好きでした。
アルコール中毒で、体を壊してしばらく入院していたほどです。
事実、私が初めてカッチャンと会ったのは、その店に出入りし始めて、3年くらい後のことでした。
タイムカードには名前があるけれど、一体誰だろう?というのが、カッチャンでした。
カッチャンは、本当に、牛乳瓶の底のような眼鏡をかけていて、その眼鏡のせいで、目玉がとても大きく見えます。
いがぐり頭のずんぐりむっくりで、しかし、その売り声は極めて陽気なのでした。
「いらっちゃい、いらっちゃい」なんて言います。
これも後々知ったことなのですが、カッチャンのこの陽気な性格は、朝から常に酒を飲んでいるからだったのです。
ある時、病院の検査で、2日3日お酒を抜かねばならず、この時のカッチャン、まるで別人でした。
ドヨーンと、下ばかり向いておりました。
で、この検査の結果が、よくなかったんですね。
カッチャン、なにせ体に何かの管が入っているような人ですから、お酒は絶対にご法度です。
カッチャンが蟹を飼い始めたのは、それから2週間ばかり経ってのことでした。
ある日、カッチャンがホースを引っ張り出してきまして、ジャバジャバと、自分のズック靴を洗い始めました。
昼日中の、勿論、店の中でのことですから、どうしたの?カッチャン、と尋ねますと、カッチャン、靴が泥だらけだ、と言うんです。
カッチャンは、年の割には可愛い白いズック靴を履いておりまして、これ、どう見ても泥になんかは汚れておりません。
一体どうしたことだろうと見ておりますと、カッチャン、今度は靴の中を手でほじくり始めました。
カッチャン、靴の中に蟹を飼っていると、言うんです。
その後のカッチャンは、どんどんとおかしくなり始めまして、その内、店の棚の中にお客さんが隠れている、なんてことまで言い出しました。
突然領収書を書き始めては、いるはずもないお客さんを探して、電柱の影を覗いたりします。
私、さすがに、ゾッとしました。
カッチャンは、営業中に倒れて、そのままクビとなってしまいました。
この店に、20年以上も勤めたのだといいます。
店長も、人情があったのだと、思います。
カッチャンが倒れた時に踏み潰した赤い苺、私、今でも時折思い出します。
そんなカッチャンでしたが、閉店後、最後に道路の掃除をするのですが、その竹箒の使い方、しゅうう、しゅうう、と力なく、とても優しくて、私、その音を聞くのが大好きでありました。
2007年08月02日
夏
最近、1日がとても早く感じます。
気がつくともう夜でして、あっという間にまた朝です。
あれ、つい昨日か一昨日見たと思ったら、ちびまる子がまたやっています。
ええっ、もう1週間か、と驚きます。
梅雨も明けたか明けぬのか。
しかし、もう8月でして、この分だと夏もあっという間ですね。
ですから私、花火の音などを何処かに聞くと、胸がどきどきとしてきます。
ああ、もっともっとやらねばならないことがある、と、股がもぞもぞしてきます。
夏だけです、こういうおかしな気持ちになりますのは。
夏の夜って、いいものです。
すっかり涼しくなって、蚊取り線香の匂いがぷんとして、チロチロと、風に風鈴が揺れています。
枝豆を食べながらビールを飲んで、テレビはやっぱりプロ野球です。
私、プロ野球は全然見ないのですが、何となく、夏の夜はプロ野球です。
これ、育った環境のせいでしょうね。
高校生の頃、自転車で旅行をしまして、何処の町だか忘れてしまいましたが、学校の体育館の軒下に寝袋を敷いて眠たことがあります。
場所が場所ですから、夜が更けないうちは何となく横になりにくく、仕方がありませんから町をぶらついて時間を潰しました。
町といってもただの住宅街なのですが、折りよく、広場で盆踊りがやっていました。
提灯の明かりが淡くにじんで、スピーカーからは割れるような大音響。
笑顔の人が沢山いて、なんだか夢を見ているようでした。
ちなみに私、盆踊りは大好きです。
前の人のまねをして何周も踊っておりますと、その内、段々と自分が上手になってくるのが分かります。
ひと通り踊りを覚えて余裕が出ますと、今度は、手の先や腰の動かし方なんかにも気を配り始めます。この時すでに、歌も一緒に口ずさんでいるかも知れません。踊りに気持ちが入ってまいります。
ここまで来れば、もう、夢見心地です。
最後の一曲、輪が何重にも膨らんで、さらば夏、また来年、なんて思います。
盆踊りで賑わう広場を横目に、私、黄色い明かりの灯る小さな中華食堂に入りました。
冷やし中華を頼みまして、ぼそぼそと、水で流し込みながら、ひとり寂しくそれを食べました。
テレビではジャイアンツ戦が流れておりまして、江川が投げておりました。
夏というと、思い出す光景はいくつもありますが、その中のひとつに、この時の、江川が投げていた中華食堂、というのが何故かしら、あります。
気がつくともう夜でして、あっという間にまた朝です。
あれ、つい昨日か一昨日見たと思ったら、ちびまる子がまたやっています。
ええっ、もう1週間か、と驚きます。
梅雨も明けたか明けぬのか。
しかし、もう8月でして、この分だと夏もあっという間ですね。
ですから私、花火の音などを何処かに聞くと、胸がどきどきとしてきます。
ああ、もっともっとやらねばならないことがある、と、股がもぞもぞしてきます。
夏だけです、こういうおかしな気持ちになりますのは。
夏の夜って、いいものです。
すっかり涼しくなって、蚊取り線香の匂いがぷんとして、チロチロと、風に風鈴が揺れています。
枝豆を食べながらビールを飲んで、テレビはやっぱりプロ野球です。
私、プロ野球は全然見ないのですが、何となく、夏の夜はプロ野球です。
これ、育った環境のせいでしょうね。
高校生の頃、自転車で旅行をしまして、何処の町だか忘れてしまいましたが、学校の体育館の軒下に寝袋を敷いて眠たことがあります。
場所が場所ですから、夜が更けないうちは何となく横になりにくく、仕方がありませんから町をぶらついて時間を潰しました。
町といってもただの住宅街なのですが、折りよく、広場で盆踊りがやっていました。
提灯の明かりが淡くにじんで、スピーカーからは割れるような大音響。
笑顔の人が沢山いて、なんだか夢を見ているようでした。
ちなみに私、盆踊りは大好きです。
前の人のまねをして何周も踊っておりますと、その内、段々と自分が上手になってくるのが分かります。
ひと通り踊りを覚えて余裕が出ますと、今度は、手の先や腰の動かし方なんかにも気を配り始めます。この時すでに、歌も一緒に口ずさんでいるかも知れません。踊りに気持ちが入ってまいります。
ここまで来れば、もう、夢見心地です。
最後の一曲、輪が何重にも膨らんで、さらば夏、また来年、なんて思います。
盆踊りで賑わう広場を横目に、私、黄色い明かりの灯る小さな中華食堂に入りました。
冷やし中華を頼みまして、ぼそぼそと、水で流し込みながら、ひとり寂しくそれを食べました。
テレビではジャイアンツ戦が流れておりまして、江川が投げておりました。
夏というと、思い出す光景はいくつもありますが、その中のひとつに、この時の、江川が投げていた中華食堂、というのが何故かしら、あります。
2007年08月01日
鈴木のおじさん
鈴木のおじさんは、私の前に突然現れまして、手土産に、袋いっぱいの椎茸を持っておりました。
玄関を、ガララと開けて、しばらくかまちに腰掛けまして、椎茸や蜜蜂、山の話、鹿の話などをして帰りました。
如何にも山の男、といったおじさんですが、その年73、見てくれは、ひょろりとやせた狐顔をしております。
たまに遊びにやって来ては、そのくせ話題が何もなく、黙って座ってお茶ばかり飲んでいました。
ですから私、思いつくことを色々と尋ねました。
中学生時代に野球をしていた話。おじさんは、あまり上手でなかったといいます。
戦争中、毎日、草鞋ばかりを編まされて、ひとつ出来上がると校長先生が草鞋にピッと印を書くそうです。これは、同じものを使い回して提出させないためだそうでして、ですからこの校長先生、草鞋先生、なんてあだ名で呼ばれていたそうです。
営林所で働いていた頃の話、炭焼きの話。
おじさんは、何でも自分でやる、いつでも何かをしている、大変な働き者であります。
しかしやはり、山の話をするのが何よりも楽しそうでした。
もうひとつ、おじさんは芸術が好きであります。
木の根っこをほじくっては、それを磨いてニスなど塗ったり、昔、下の町の書道教室に通っていましたから、木の板に文字を彫って、看板なんかを作るのも得意です。
以前は自分で新聞も発行していたそうでして、町の文化協会にも入っております。
昨年の秋、おじさんに強引に誘われまして、私も町の文化展にTシャツを出品しました。
飾られたコーナーは、なんと手芸のコーナーでした。
一昨日まで、私、ちょっと出掛けておりまして、数日振りに村に戻ると、おじさんが、亡くなっておりました。
びっくりしました。
今でも信じられないようです。
数日前から、血が止まらなくなったとかで、入院していたのは知っていましたが、そんなに深刻なことになっているとは夢にも思いませんでした。
一度お見舞いに行こうかと、土産を買ってきたばかりのことでした。
昨日、葬儀に出席してきました。
自宅で行われた小さな葬儀で、家の中にも庭にも入りきれない人々が、暑い日でしたから、道路の日陰に突っ立って、時折バスが通ると、皆でぞろぞろと移動してこれをよけました。
お葬式って、やはり土地土地によって違うようでして、こちらでは、出棺が先、お骨となって戻ってきてから坊さんが来て、笹の束を振り回したり、めいめいが花や団子や遺影を持って、列を作って並んだり。
私、知り合いもあまりいませんから、1時間ばかりの間、ただただぼんやりと、汗を拭いながら坊さんの読経を聞いておりました。
青い空、深い山、目の前にキラキラと川が流れて、蝉の鳴く声がうるさいくらいでした。
田舎のお葬式だなぁ、と感じました。
おじさんに、もっと色々と教わっておけばよかった。
何もかもが、残念でなりません。
冥福を、祈ります。
玄関を、ガララと開けて、しばらくかまちに腰掛けまして、椎茸や蜜蜂、山の話、鹿の話などをして帰りました。
如何にも山の男、といったおじさんですが、その年73、見てくれは、ひょろりとやせた狐顔をしております。
たまに遊びにやって来ては、そのくせ話題が何もなく、黙って座ってお茶ばかり飲んでいました。
ですから私、思いつくことを色々と尋ねました。
中学生時代に野球をしていた話。おじさんは、あまり上手でなかったといいます。
戦争中、毎日、草鞋ばかりを編まされて、ひとつ出来上がると校長先生が草鞋にピッと印を書くそうです。これは、同じものを使い回して提出させないためだそうでして、ですからこの校長先生、草鞋先生、なんてあだ名で呼ばれていたそうです。
営林所で働いていた頃の話、炭焼きの話。
おじさんは、何でも自分でやる、いつでも何かをしている、大変な働き者であります。
しかしやはり、山の話をするのが何よりも楽しそうでした。
もうひとつ、おじさんは芸術が好きであります。
木の根っこをほじくっては、それを磨いてニスなど塗ったり、昔、下の町の書道教室に通っていましたから、木の板に文字を彫って、看板なんかを作るのも得意です。
以前は自分で新聞も発行していたそうでして、町の文化協会にも入っております。
昨年の秋、おじさんに強引に誘われまして、私も町の文化展にTシャツを出品しました。
飾られたコーナーは、なんと手芸のコーナーでした。
一昨日まで、私、ちょっと出掛けておりまして、数日振りに村に戻ると、おじさんが、亡くなっておりました。
びっくりしました。
今でも信じられないようです。
数日前から、血が止まらなくなったとかで、入院していたのは知っていましたが、そんなに深刻なことになっているとは夢にも思いませんでした。
一度お見舞いに行こうかと、土産を買ってきたばかりのことでした。
昨日、葬儀に出席してきました。
自宅で行われた小さな葬儀で、家の中にも庭にも入りきれない人々が、暑い日でしたから、道路の日陰に突っ立って、時折バスが通ると、皆でぞろぞろと移動してこれをよけました。
お葬式って、やはり土地土地によって違うようでして、こちらでは、出棺が先、お骨となって戻ってきてから坊さんが来て、笹の束を振り回したり、めいめいが花や団子や遺影を持って、列を作って並んだり。
私、知り合いもあまりいませんから、1時間ばかりの間、ただただぼんやりと、汗を拭いながら坊さんの読経を聞いておりました。
青い空、深い山、目の前にキラキラと川が流れて、蝉の鳴く声がうるさいくらいでした。
田舎のお葬式だなぁ、と感じました。
おじさんに、もっと色々と教わっておけばよかった。
何もかもが、残念でなりません。
冥福を、祈ります。
