2007年06月12日

崖上の豚

 旅先で、こんな話を聞いたことがあります。

 ある断崖に、豚の大群が押し寄せます。
荒波に飛沫を上げる黒い海。どんよりと灰色に曇る空、横なぶりの強い風。
 すると、一匹の豚が、とととっ、と、群れを飛び出しまして、この恐ろしい断崖から、迷うことなく身を投げます。
ゴウゴウと猛る嵐、その最後の叫びは掻き消され、小さな豚は、ゆっくりと空中を舞うかのように、チャプンと無力に、深い海の底へと消えて行きます。

 全く関係のない話ですが、私、以前テレビで相撲を見ておりまして、この時、音を消してステレオで別の音楽を聴いておりました。
聴いておりましたのが、たまたまバロック調のクラッシックで、これがまた、相撲の映像にぴたりとよく合ったのです。
 ひとつ取り組みが終わりますと、必ずスローのVTRが流れて、解説が入りますね。
あのスローの映像、太った力士たちが、髷を乱してゆっくりと転がって、バロックの調べ。
その、しまったぁ、という表情、飛び散る汗と砂、そして、バロックの調べ。
なんだかとても荘厳なものを見ているような気になりました。

 で、豚のお話。
1匹目が飛び込みますと、続いて2匹目が、とととっ、とまた同じ調子で海に飛び込みます。
3匹目、4匹目、と、これが一体どれくらい繰り返されたことでしょう、ある時突然、その時がやって来ます。
 数万もの大群が、一斉に、ドドドォー、と恐ろしい地鳴りを上げて突進し、その黒い大群は、崖の上からばらばらと、こぼれるように次々その身を投げたのです。

 このお話、いつ何処で誰に聞いたのか、全く覚えておりません。
どんな含蓄のある話なのかも、実はさっぱりと分かりません。
しかし、想い描いた光景が、なんだか不気味で、かつ、土俵を転がる力士のように荘厳な印象を受けましたので、数年経った今でも、時折思い出すことがあります。

 恐らくはこれ、何と呼ぶのか分かりませんが、こんな事象を例えた話なのではないでしょうか。
 ある時に、場所や環境を飛び越えて、同じ思想や行動が、ぽっと蛍の尻に明かりが灯るように、同時に発生する。
 例えば、今のアフリカ辺りに住んでいた原始人が、ある石器を使い始めた時期と、ロシア辺りの原始人が同じ石器を使い始めたその時期が、不思議とぴたりと一致する。
 何処かで何がしかの概念が発生すると、遠く距離を隔てた全く別の場所でも、やはり同じような概念が、ぽっと発生する。
生命の進化の過程に、こういう話、よく出てきますよね。

 つまりは、あちこちで燻っていた小さな火種が、時を同じくして、ある時ぼっと大きな炎となって燃え盛る。
要は、焚き火みたいなものです。
 そう考えますと、なんだか急に不思議でも何でもなくなって、世の中って、大方そんなものだろう、なんて気がしてきます。
 結果だけ見ると、ひどく突飛で何の関連もないようなものでも、実はそのチロチロと燻っている火種の段階では、どんな形でかは分かりませんが、ちゃんと立派な繋がりがある。
 環境問題も然り、河川の水質問題は、まず、山の問題からだといいます。風が吹けば桶屋が儲かる、なんて俗説もあります。人の体、病なんかに例えれば、これ、とても分かりやすい話ですよね。

 しかし、こういう話を聞いて、こういうことを考えるのは、如何にも頭でっかちなようで面白くありませんから、ひとつ別のことを考えてみたいと思います。
 この群れの中に我が身を置いたら、なんてことを考えてみます。

 私、先頭を切って物事を成し遂げる、なんてタイプではありませんから、前と後ろとどっちが好きかと尋ねられれば、迷わず後ろが好きであります。
 ですから当然、この数万の豚の群れの、その後ろのほうにちょこんと参加いたしまして、前も後ろも右も左も、豚だらけ、一体何が何だか分かりません。
 足元さえも覚束ないこの状況で、立ち止まれば踏み潰されてしまうことは必至ですから、ただただ、走り続けるしかありません。これは、周りの豚とて同じことなのです。マスの力というものに、抗うことは出来ないのです。

 しかしこの状況、どう考えてみましても、興奮します。祭りと一緒です。
 数万もの大群が、雄叫びを上げながら猛進する。
何に向かって走っているのか、そんなことはどうでもよいのです。
興奮が興奮を呼んで、走れば走るほどそれが倍加して、いよいよピークに達しましたその時、あっ、と。
それでお仕舞い。興奮の内に死す。

 私、こういう生き方、結構いいんじゃないかなぁ、なんて思います。  

Posted by wajin at 14:23Comments(0)TrackBack(0)