2007年06月08日
表と裏
猫に関する相談に専門家が答える、といった趣旨の番組でしたが、この専門家、その喋り口調から想像しますと、年は50代くらいでしょうか、とても上品で優しそうな感じの女性でありました。
なんでも何処かの獣医さん、はっきりとは覚えておりませんが、それも猫専門の獣医さんであったように思います。
この先生の猫を愛して止まぬこと、その懇切丁寧に答える言葉の端々からうかがえます。
「家猫ちゃんはどうのこうの・・」とか、「外猫ちゃんは云々・・」とか、果てはただの野良猫にまで、「野良ちゃんは・・」と、ちゃん付けして呼ぶ溺愛振りです。
ところが、面白かったのは、進行役の若い女性が、猫の病気か何かにつきまして、犬の場合と比較するとどうなのでしょう、なんて質問をした時です。
先生、急に淡白な口調となりまして、
「あ、犬は、云々・・」
私、思わずにやりとさせられました。ワンちゃんではなく、犬と呼ぶその上品な先生、私、急に好感をもってしまいました。
中東を旅していた頃、シリアの首都ダマスカスで、イブラヒムという男と出会いました。
小太りの、頭の禿げ上がったジョンベルーシー、といった風貌で、生粋のダマスっ子、これが、稀に見る好人物でありました。
イラク戦争が始まる前の話ですが、中東というのはいつでも火種を抱えておりますから、相変わらず、旅行者は少ない時期でありました。
しかし、物騒なイメージが持たれがちのこの地域、実際に旅してみますと、出会う人間は、素朴で心優しい人ばかりです。
特にシリアなどは、道行く人々がすれ違いざまに、
「Welcome to Syria」
なんて、声を掛けてくることがしょっちゅうでして、その代わりに、やはりちょっと遠い国ですから、日本からやって来た私に、おお、ジャッキーチェン、とか、おお、ブルースリー、なんて、その辺りの区別はとんとついておりません。
そんな状況で話し掛けられましたのが始まりで、ダマスに滞在した2週間ばかりの間、私、イブラヒムには大変お世話になりました。
ほとんど毎日のように何処かに連れて行ってもらったり、家に夕食に招かれたり、余談になりますが、イスラムの女性って、自分の家でも、私のような客の前には決してその姿を現しません。
どんな料理でしたか忘れましたが、大変美味しい料理が出まして、これは一体どうやって作ったのだと尋ねますと、イブラヒム、壁に向かって大きな声で、「母さん、これはどうやって作ったの?」
すると壁向こうの台所から、「これこれだよ」なんて返事が返ってくる按配です。
年頃の妹もいるとのことでしたが、やはりその声は聞こえるものの、姿を見ることは一度たりともありませんでした。
ともかくもこの男、先程書きました通り、大変な好人物でして、年は私よりもいくつか上でありましたが、私のことを決して呼び捨てすることなく、いつでも、ミスター、ミスター、と呼んでおりました。
「Never mind (気にしないよ、大丈夫だよ、の意です)」が口癖でして、明日は何処何処に行かないか、なんて誘って、こちらが少しでもためらうような素振りを見せますと、ネバラマイン、ネバラマイン、両手でバイバイをするような仕草をして、アラブ特有の巻き舌でこれを連発します。
中東はチャイ(お茶)が盛んな文化でして、チャイ屋で水パイプを吹かして、というのが大人のたしなみのひとつであります。
こうした席では、なんとこのイブラヒム、お茶菓子のピスタチオの殻まで剥いてくれるのです。
綺麗に皮を剥かれたピスタチオが、私の目の前にどんどん並んで、プリーズ、ミスター、私、必死にこれを食べ続けました。
念のため、彼の名誉のためにも言っておきますと、このイブラヒム、極端に優しいだけでありまして、決して男色の気がある訳ではございません。
このイブラヒムに連れられまして、私、ある晩何処かの教会へ行きました。
ローマ時代の遺跡が多く残る国ですから、恐らくは、何か由緒のある教会であったのだと思います。
この時、境内、と言うんでしょうか、教会の中庭で、突然、大きな殿様バッタが私の肩に飛んできました。
一瞬のことでしたから、私も、ワッ、と驚きまして、反射的にそれを地面に払い落としたのです。
するとこれも一瞬のこと、電光石火の早業で、イブラヒムがバッとこれを踏み潰したではありませんか。
踏み潰して、確かに、じりじりとやっておりました。
私、普段からあまり殺生はしないタチですから、加えて、あのピスタチオの殻まで剥いてくれる、乙女のような優しさをもったイブラヒムが、まさかこんなことをするなんて、という驚きで、しばし呆然と言葉を失い、彼の顔を見つめるばかりでした。
するとイブラヒム、
「こいつはよくない奴だ。ミスターを驚かせた」
私、この時ばかりは、この小太りのジョンベルーシーが、なんだか恐ろしいようでした。
優しさと凶暴さ、猫への愛情と犬への淡白、なんでも構いません。
一見正反する物事って、やはりよく言われますように、表と裏で一体なんですよね。
裏があるから表がある。禅問答のようなお話ですが、私これを、日々の生活にとても役立てているのです。
どう役立てているのかと言いますと、私、実は何事にも大変やる気のない人間でして、そのくせ、自分のそういった無気力に、ひどく焦燥を感じたりもいたします。
こういう焦燥を長い時間持ち続けておりますと、これは、精神には無論のこと、体にも深刻な毒となります。
ですから、そんな時はこう考えるようにしております。
やる気のなさは、つまり、やる気全開に同意。
今日1日を振り返って、何も実のあることをしなかった、これは実に充実した1日に同意。
酒を飲んでぐだぐだとした、これは言わずもがな、牛乳を飲んで溌剌としたに同意。
ね、便利でしょう。皆さんも是非、お試しを。
