2007年06月04日
気詰まりなBAR
私、お酒が好きであります。何よりも好きという訳ではありませんが、かなりのものを差し置いて、好きであります。
酒飲みにも色々あるかと思いますが、私の場合は、だらだらと長い時間飲み続ける、日々このスタイルに一貫しております。
昼日中でも、喉が渇けばお酒を飲みたくなる。誰も止めろと言う者がおりませんから、ついついビールの栓を抜きまして、そのまま夜半に至ります。
しかし、昼間の酒は酔うことが目的ではありませんから、赤い顔をしていても、きちんと仕事はこなします。電話などにも丁寧に応対して、これ、誰に迷惑の掛かるものではないと、自身に弁明いたしております。
似たような話で思い出しましたが、私、今ではそんなことはなくなりましたが、以前は大変朝が弱いタチでした。昼近くまで、下手をすると午後の2時過ぎまで寝ている、なんてことがよくありました。
家でしている仕事ですから、問題は掛かってくる電話くらいなものでして、しかし、昼頃に電話を掛けてくる相手の状況を考えますと、これは無論、その人は職場から掛けていると想像されます。人間の想像力があくまでも自身の世界観から発するものであるならば、まさかこちらが布団にくるまっていようとは間違っても思うまい、多少声がくぐもっていたって、言うなれば、向こうの想像力を超えた世界であろう、なんて高をくくっておりました。
事実、電話が鳴り響きますと、私は弾かれたように飛び起きまして、「はい、倭人です」なんて、こともなげに言ってのけていたのです。
ところがある時、やはり昼頃に電話が鳴りまして、いつものように、あくまでも寝ていませんよ、なんて調子でこれに出ました。
そうしましたら開口一番、「寝ていましたか?」と尋ねられまして、私、ドキッといたしました。
何処のお客さんでしたか忘れましたが、世の中には鋭い人がいるものだなぁ、なんて感心いたしました。
しかし、これに臆してもいられませんから、私、平気を装って、否むしろ、何を言っているんだ失礼な、くらいな気持で、
「いいえ、寝ていません」
おかしな仕事の会話もあるものですが、これが相手も布団の中でしたら、もっと面白いのですけどね。
横須賀におりました頃、独り身であったこともありまして、よくバーに通いました。
旅先では、勝手の分からぬ土地ゆえ、あまり選択の余地もありませんから、例えばチェーンの居酒屋でひとり飲む、なんていうことも、私、全然お構いなしです。
そういうざわざわしたところで、ひとり寂しく塩辛を舐める、これはこれで旅情を感じて、なかなか風情があるものです。
しかし、勝手知ったる我が庭となれば、何も好き好んで寂しい思いをすることはありません。
やはりひとりで飲むならば、カウンターのあるショットバー、これに限ると思います。
行きつけのバーで馴染みのバーテンとお喋りをする、これはこれで楽しいことです。
ところが私、何事に関しましても飽き易い性分ですから、ついつい知らない店にも行ってみたくなる。ですから、まあ、2軒目くらいは酔いに任せて大いにうろつきまして、ここは、と心くすぐるネオンがあれば、その重い扉をギイとひと押し、私、あの、知らない店にひとりで入る緊張感って、大好きです。その店が怪しい面構えであればあるほど、堪らないものがあるのです。
これ、ちょっと旅先の感覚に似ております。
その店は、通りに面したガラス張りの、見た目も新しく比較的入り易い感じのバーでした。
音楽は何が流れていたか記憶にありませんが、入ってすぐの正面がカウンター、その横手にテーブルが5、6席、テーブルには中年の女性がひとり、頬杖を突いてテレビを見ながらお酒を飲んでおりました。カウンターに腰を掛けるとその背後には、ダーツの機械が数台並んでおりまして、初老の男性と20代くらいの青年が、ちょうどゲームをしている最中でした。
お客はたったそれだけでして、あとはカウンターの中側に、黒いベストを着た若い女の子がひとりいるばかり、私は、しばらくこの子を相手に、カラコロとグラスを数杯傾けたのでした。
その内に、どうしてここで働いているの?、なんて話になりまして、するとその女の子、ちょっと意外な答えを返したのです。
「ここ、あたしの実家なんです」
私、バーで女の子とお喋りをして、なんていう時は、日常の感覚というよりも、もうちょっと浮ついた感覚でおりますから、急に実家という現実味のある言葉を聞かされまして、一瞬「えっ?」となりました。
するとその女の子、間髪入れずに、
「あれが母です」
と、指差しましたその先には、テレビの青い光を背に、例の中年女性がこちらに笑顔を向けているではありませんか。
物事は、ひと度崩落し始めますと、その勢い、人力に余るというのが常であります。
「これは父です」
と、今度はダーツに興じる初老の男性、どうも、なんてご丁寧に私にお辞儀をしてみせます。
まさかまさか、と思う間もなく、
「これは兄です」
兄はダーツを楽しむ手を止めて、ぺこりと一礼、再びその矢を的に向かって放り投げました。
私、一瞬、何が何だか、狐につままれたかのような気持になりました。
つまりこのバー、家族全員が勢ぞろい、私だけが赤の他人だったのです。
知っている人のお宅にお邪魔するならいざ知らず、何だか見ず知らずの家庭に上がり込んでしまったような不具合で、そうとも知らずに、私、その娘、その妹と、酔った会話をぺらぺらとして、ああ、みっともない、みんなグルだったのか、と一変に酔いが醒めてしまったのでした。
グラスになみなみと残ったジンを、くいっと一気に引っ掛けまして、覚えていろよ、なんて言ったか言わぬか、私、早々とその場を立ち去ったのでした。
