2007年05月18日

ダブルのスーツ 後編

 川崎から那智勝浦を経て、高知に向かう船があります。
 私は以前、伊豆に移る前に、四国に移住しようかと考えまして、視察を兼ねて一週間ばかり、あちらをうろついたことがあります。
結局は、不動産を見るでもなく、ただ饂飩を食ったり、蜜柑を食べたり、何の成果もなく帰って来ましたが、元々が何の根拠もない移住計画ですから、別段それでいいのだと思います。
この時やはり、自称海の男の血が騒ぎまして、この川崎発高知行きの船に乗り込んだのでした。

 深夜に出港しまして、朝の6時に勝浦港、昼近くには高知に到着してしまう短い船旅でありました。
 初めての航路となれば、私はいつでもディカプリオを夢見ておりますから、まあ、その分余計にがっかりさせられました。
 韓国船に負けず劣らずのボロ船で、奮発して取った2等和室は、畳4畳の穴倉のような暗い部屋、
こんなところにいたらまずやられてしまう、と思いました。こういうマイナス思考が何よりもいけないんですね。
結局私は、そのほとんどの時間を、ロビーや甲板で過ごす破目となりました。
 乗り合わせた乗客も数えるほどで、これでよく成り立つものだなぁと、要らぬ心配をいたしましたが、もっとも、川崎港の煤けた景色を思い出せば、この船、貨物輸送が主な役目なのかも知れません。

 夕食は時間が決まっておりまして、何ともお粗末なビュッフェスタイルでありました。
 背もたれの壊れた硬い椅子、シミのついたテーブルクロス、ミートボールに餃子といった、どうにもちぐはぐな取り合わせ。そのどれもこれもが、ひどくどぎつい味付けで、ほとんど食が進まなかったことを覚えております。
 ところが、私のすぐ近くで食事をする青年、年の頃二十代、どういう事情があってか分かりませんが、小さな体にひどく不釣合いなダブルのスーツをヨレヨレと着て、これがまた、むしゃむしゃと、余程腹が減っていたのでしょうか、見ているこちらが気持ち良くなるような食べっぷりでありました。
 乗客が少ないものですから、この青年、便所に行っても風呂に行っても、とにかくあちらこちらでよく出会います。いつでも必ずダブルのスーツ姿で、私を含めた他の乗客、それからこの船のくたびれた雰囲気、その中でひとり異質な光を放っておりました。遠くに彼の姿を見かけると、ひょこひょこと、まるでスーツが歩いているようでした。

 たいして具合が悪くなることもなく、船はほぼ定刻通りに、高知の港に着きました。
 ガラーンとした、ベンチと自動販売機の他には何もない、寂しいターミナルでした。
迎えのないのは私ばかりで、下船した人々は早々と姿を消して、私はひとりぽつねんと、呼んでもらったタクシーを待ち続けました。
 この時、例のダブルの青年が、やはり迎えの車に乗り込む姿を目にいたしました。
迎えに来ていたのは、青年より年下の、ちょっと悪びた格好をした、弟分、といった感じの男の子でした。
「兄貴ィ」と言ったかどうかは分かりません。青年が手にした鞄で彼の頭を小突いたり、それは如何にも親密な、久し振りの再会といった様子に眺められました。
 私は何しろ暇なものですから、これを見て、ははあ、とひとり勝手に合点したのでした。

 恐らく青年は、久し振りの帰郷なのだと思います。
それももしかしたら、東京に出て、初めての帰郷なのかも知れません。
都会の暮らしをダブルのスーツで着飾って、その姿は、船の中で見た時よりも、大いに溌剌と、胸さえ張っているように見えました。
またそれを、憧れのまなざしをもって見上げる弟分の純朴さ。ふたりの笑い声。

 バタンとドアが閉じられて、青年の車が砂埃を上げて走り去ると、辺りは急に静かになったようでした。
 私はぼんやりと、人の暮らしっていいものだな、と思いました。  

Posted by wajin at 15:07Comments(1)TrackBack(0)

2007年05月18日

ダブルのスーツ 前編

 私、旅行と言えばもっぱら貧乏旅行であります。
その一方で、昔から、豪華客船に乗ってみたいなぁ、なんて夢も秘かに抱いております。
ディカプリオのように黒のタキシードをバシッと決めて、美味しいお酒、楽しいショウ、人参くらいの太さのある葉巻をブカブカと燻らせまして、そうですねぇ、半年くらいはそんな暮らしがしてみたいものです。
 ですから、乗り物酔い、こと船に関しましては散々苦い思い出がありながら、そこに航路がある限り、どうしても船に乗らずにはいられない、そんな登山家のような厄介な嗜好が、私にはあります。

 先年、韓国に出掛けました折にも、わざわざ広島まで足を延ばしまして、船中一泊、霧雨に煙る釜山の港に着岸の汽笛の音を聞きました。
 初日は内海を走りますから、たいして揺れることはありません。しかし、2日目、海峡を渡る際には、その小さな、錆だらけのポンコツ船は、(なんでも、日本の国内航路で使われていた船の払い下げだそうです。私の乗った前年には、いったん廃航に追い込まれたという赤字船です)これでもかと言わんばかりに、大いに揺れました。
 案の定、ひどい船酔いに悩まされまして、これがどんどん調子に乗ってあまりにも際限ないものですから、とうとう私は船員に、医者を呼んでくれ、と頼みました。
そうしましたら、このポンコツ船、医者なんか乗っていないんですね。
船には船医というものが必ず乗っているような気がしておりましたが、一体何処で刷り込まれたのでしょう、これは全くの妄想であることを知りました。

 「これをお飲みなさい」
と、目の前に突き出されたおかしな赤い物体は、ぼやけた視界、ちょうど切り取られたへその緒のように見えました。
これは一体なんなのだ、と尋ねますと、
「韓国では、赤ん坊が危ない時によく飲みます」
と、妙なイントネーションの日本語が返ってきます。
この船、韓国籍の船でして、乗員も皆、韓国人なんですね。
 赤ん坊?危ない時?
 その時の私は、顔面蒼白、戻しても戻しても尚、一向吐き気が治まらない、その内に四肢までが、ビクリ、ビクリ、と痙攣し始めまして、確かに危ない状況であったのかも知れません。
しかし、腐っても鯛、どんなに打ち負かされたって、自分が赤ん坊でないことくらいは分かります。
ですから、大人のプライドで、頑としてこの薬、飲む訳にはいかぬ、と撥ねつけてやりました。
なんて、ただ気味が悪くて飲めなかっただけなんですけどね。

 そうして、ほうほうの体で辿り着きました釜山では、相変わらず汚い安宿に身を落ち着けまして、毎日ズルズルと冷麺をすする日々、しかしこの旅行、普通にソウルに飛行機で飛んで、パックになった三ツ星あたりのホテルに泊まって、などというよりは、よっぽど高くついたんですよ。
 つまり、高い金を払って貧しい思いをする。
私の旅、すでにこのおかしな領域にまで達してきているのです。  

Posted by wajin at 01:45Comments(0)TrackBack(0)